「實業家は自衛の謀を爲す可し」
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本文
實業家は自衛の謀を爲す可し
政治と實業と密接して政府の方針如何は實業社會の利害に容易ならざる影響を及ぼすの常
なるに不幸にも我日本は政治國にして實業商賣に重きを置くもの少なく隨て商賣上の經驗
もなく又經濟の知識思想もなき彼の武家育ちの人々が國家の大政に與り我物顔に法律を工
風し政務を行ふて憚る所なく實業者は唯これを傍觀して其爲すがまゝに任するのみか恰も
素人の鼻息を窺ふて進退を决するが如き實に言語に斷へたる次第にして法律も民業保護の
用を爲さずして時としては却て妨害の媒介たることなきに非ず左れば今日この弊習を改る
に如何して可ならん歟と云ふに今更ら言論專門の政客をして經濟に心を傾け實業の爲めに
盡さしめんとするが如きは到底云ふ可くして行ふ可らざることなれば實業者たるものは斷
然心事を一變して他に依頼することを止め自から奮發して政界に打て出で獨立獨行自家の
勢力を以て自家の利益を保護するの謀こそ肝要なれど我輩の敢て勸告する所なり
近着の米國新聞紙を見るに近來合衆國の鐵道事業に關係する人々は相集りて鐵道黨
(Railway Party)なる一團體を組織し大に政治社會に運動して以て同業者の利益を保護せん
とするの計畫ありと云ふ今其發起者の一人なる某鐵道會社長の意見なりと云ふを聞くに
「今日合衆國人民の十中八九は鐵道會社をして其運賃をば人民の認て適當なりとする割合
にまで引下げしむるの權利あるものと心得居るこそ奇怪なれ又これまでの實際を視るに彼
等の自から認る此權利を使用するに必要なる實力に乏しからざることを證明せり人民は法
律を以て鐵道の最高運賃を制定するに當り自家の便利を謀ると共に鐵道會社株主の云ふ所
をもよく聽容れ决して不公平の處置を施すことなしと信じて疑はざる者の如くなれども事
の實際に於ては人民は恰も主人の如く鐵道會社はその奴隷に異ならざる今日の有樣なれば
假令ひ株主の方に如何なる不平不服の次第ありて之を陳述するも曾て聞屆けられたる例と
てはなし故に今後鐵道會社が既往に於ける如く人民の壓制を蒙りて株主の權理を蹂躙さ
るゝの災を免かれんとするには唯會社の株主並に雇人が大に團結して一政黨を組織するの
一法あるのみ斯る政黨は固より青天白日その目的の爲めに運動して何事を秘するの必要も
ある可らず又鐵道黨は决して政治上の地位に自黨の候補者を推薦することを爲さず唯常に
政府に迫て鐵道會社の財産を保護すること他一般の財産を保護すると異なることなからし
め必要のときは兩大政黨(即ちレパブリカン黨とデモクラチツク黨)の間に立て「權力の
平均を握り以て我目的を達することを〓む可し」云々の趣旨にして既に賛成者も少なから
ざる由なり此の政黨にして愈々組織を成すに至らば其勢力は决して飾る可らざるものなら
ん盖し今日米國の諸鐵道會社に使役せらるゝ人員の總數は其外に鐵道と直接に關係して正
しく鐵道の爲めに生存する者とも云ふ可き諸會社の役員株主等を併すれば是れ又百萬以上
の人數あり右三〓の人を合するときは其總數三百萬以上に上り人數の多きこと斯の如くに
して然も其後楯としては殆んど無盡藏の金力あり鐵道黨にして一旦組織されんには米國の
政界に一大變動を惹起すは必然なりと云ふ可し
米國と日本とは素より國情を同じふせざれば我國の實業家が直に米人の爲す所に傚ふて之
を日本に行ふが如きは實際に六ケ敷きことならんなれども今日の如く家に巨萬の資産ある
大富豪が身外無一物の書生輩の爲めに其財産の支配を恣にせられて頭を擡ること能はざる
は畢竟するに實業家其人の因循不活溌にして政治を度外視するより生ずるの禍と云はざる
を得ず我輩は我國の商人製造者に向て敢て政治に身を委ねよと云ふに非ず唯相互に團結一
致して政界の一勢力と爲り自から自家の利益を保護して以て世間普通の專門政治家の爲め
に犠牲に供せらるゝなからんことを忠告する者なり偶ま米國に鐵道黨組織の企ありと聞き
一言以て我國實業家の注意を促すのみ