「三池炭山」
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時事新報に掲載された「三池炭山」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
三池炭山
の事に付き三井組より大藏省に對する訴訟は近年稀なる大訴訟にして商賣社會の最も注目
する所なれば我輩が爰に一言を試るも無益の勞にあらざる可し抑も此訴訟の起原は明治二
十一年大藏省が其所有三池炭山の營業權並に附屬資産を代金四百五十五萬五千圓を以て三
井組に賣渡したり否な貸渡したると云ふ其所見の異同より生したることにして當時の事情
を尋るに右代金の拂方は無利足十五ケ年賦にして初年一時に百萬圓を拂ふて其後は毎年凡
そ二十五萬圓づゝを納め明治三十五年にて皆濟し其皆濟の上にて本式に營業權並に附屬物
件の所有權を付與す可し、夫れまでは賣渡に非ず貸渡なりと約束し尚ほ參考の爲めにとて
右炭山營業の収支概算書をも示し其書中には炭山を四百萬圓にて讓受け明治三十五年に至
るまで十五ケ年の間營業すれば末年の計算にて二十何萬圓の不足を生ずれども明治三十六
年より四十二年に至るまで七ケ年の間には自から不足を回復して若干の利潤を見る可し、
金利は何分の見積り營業費は云々炭價は云々と豫算し又炭山の地質地形及ひ埋藏總炭量の
數を記し炭田の五坑と名くる第一勝立坑第二七浦坑第三大浦坑第四宮浦坑第五宮浦新坑の
各坑より採掘して得らる可き高をも逐一明細の表に現はして遺す所なし其文字の詳なるは
結約のとき大藏省より發したる命令書及び三池炭礦収支概算書等に就て見る可きものなり
爾來三井組に於ては命令書の旨に從ひ概算書の數を目的にして礦業を營む折抦、明治二十
二年七月九州地方大地震の餘波を勝立坑に及ぼして災を被ること少なからず其復舊工事に
莫大の資金を費すのみならず礦山中にても最も利益多き一坑の採掘を中止したる損害は甚
だ大なりとて是に於てか始めて詞訟の端を開き原告三井は其被害の數を總計して金六十七
萬一千餘圓を大藏省より辨償す可しと云ひ又この外に金十三萬二千餘圓は從前三井組が大
藏省に代りて業を營む中に曾て借區税の沙汰なかりしものが坑法改正明治二十五年六月よ
り借區税は變して礦區税及ひ礦業税と爲りしより之を三井組に負擔せしめんとの命にて三
井に於ても止むを得ず一時は其命に服從して假に之を支辨したれども固より本來の義務な
きものなれば既に支辨したるものと尚ほ今後十ケ年間の税金を合して被告大藏省より三井
組へ附與せられたしとて其高を記したるものにして兩樣の共計八十餘萬圓の請求なり大藏
省は此被告事件に對して如何に答辨す可きや今度の出訴に至るまで三井組の勝立坑の被害
並に税金の事に付き毎度大藏省に向て難澁の次第を申出て臨時の處分を請願したるにも拘
らず之を擯けて遂に公訴にまで至らしめたるは必ず何か答辨の材料を得て自から信する所
あるが故ならん傍より知る可きにあらざれども我輩一個の私見を以て案すれば原被成敗の
分るゝ所は三池炭山その物の果して賣渡なるか貸渡なるか之を判斷するの一點に在るも
のゝ如し、若しも是れが眞成の賣渡にて何等の事情もなく明治二十一年八月に賣買を結了
して三井組が公然たる礦主たるに於ては利害共に礦主の知る所にして如何なる災害を被る
も一言の苦情ある可らざるは當然のことなれども大藏省は代金の完納に重きを置て安から
ず思ひしものか遂に賣渡の事を斷行し能はず苟も年賦金の皆濟せざる間は貸渡なりとして
命令書第五條に其旨を明記したるのみならず日本坑法に人民の私に稼ぐ礦山には借區税を
拂はしめ官行の山は無税の定めなる其法に從て三井組が三池礦山を稼ぎながら借區税を納
めたることなきは正しく官行の礦山にして三井は唯下稼請負人たるの事實を實際上に明に
したるものなり左れば明治二十五年六月一日より鑛業條令の實施に際し官私の別なく鑛業
税を拂ふの塲合に臨み大藏省が俄に貸渡の説を變じて所有權を三井に移さんとしたれども
其これを移すや唯納税の問題より生じたることにして若しも新條例に於ても官有の鑛山は
無税なること舊坑法の如くならんには大藏省に於て變説の要もなく三井は依然として大藏
省の蔭に居り鑛山の營業舊の如くにして納税を促さるゝことなかる可し假令ひ之を促して
も之に應ずることなかる可し如何となれば官有の故を以て無税なりしものが鑛業條例發布
の一事の爲めに俄に有税に變ずるの理由あらざればなり或は税の名義の如何に拘はらず人
民營業の鑛山は有税なるが故に新條例の發布と共に之を課するものなりと云へば舊坑法の
時代に三井より納税せざりしは坑法に反くものにして之を捨置く可き理由あらざればなり
然るに大藏省が其税の不納を不問に附したるこそ鑛山を官有と認めたるの明證なれば其官
有の性質は鑛業條例の發布するとせざるとに論なく前後同一樣にして假令ひ如何なる條例
を發すればとて大藏省と三井との關係を動かすの理由あらざればなり是等の點より論じ來
れば三池炭山の官有にして三井組の私産ならざるは先づ以て爭ふ可らざるものゝ如し(以
下次號)