「三池炭山(昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「三池炭山(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

の所有既に官と定まる上は鑛税法に如何なる變換あるも炭山の下稼人たる三井組に於ては政府と結約以來明治二十五年五月三十一日に至るまで無税なりし如く爾後も約條の期限中は納税の義務ある可らず之を喩へば三井は他人より地面付の貸家を托せられて之を管理し差配して其間に利するものゝ如し即ち鑛税は地税家屋税の如きものにして差配人の知る可き限りにあらず鑛税にして斯の如くなれば彼の膀立坑の震災より生じたる損害も其歸する所自から知る可きのみ初め大藏省が炭山拂下を公にしたるときに營業の收支概算を示し五坑の内何坑の出炭は何程にして何坑は云々と其數を記したるは一號より五號まで五棟の貸長屋に付き毎號の店子より收入す可き店賃を概算して其數を明にしたるに異ならず差配人は其概算を信じて双露盤を持ち斯くなれば必ず利益ある可しとて十五箇年の地代店賃を請負〓之をさへ滯りなく納れば地面建物ともに遂には差配人の私有に歸するの見込を以て營業の折柄、不幸にも右五棟の中にて收入の最も多き第一號の長屋が震災の爲めに破壞し其收入丈けは皆無に歸して差配人なる〓〓〓〓の豫算を援護せしめたることなれば〓〓家〓〓〓〓〓に〓る大〓者に就て其損害も負擔するは固よ〓〓〓〓〓〓て〓ふ可きもの〓きが如し或は彼の命令書〓〓〓〓〓〓代金は〓〓〓〓の事情あるも延期〓〓〓減額又は利引一時上納等其他一切の變更を請願するを許さずとある其文字を押へ膀立坑の震災は即ち何等の事情と記したる其事情の一なれば之が爲めに代金の上納法を變更するの理なしと云ふものなきにあらざれども元來この第六條は都て無用の文字と云はざるを得ず商賣上に約束したるものが事情に由りて代金の拂方を變更するの謂れは萬々ある可らず分り切つたることにして特に之を記したるこそ却て約束書の體裁を失したる程の次第なれども此命令書に限りて斯る無用の文字あるは當時政府は國會開設の準備に忙しく殊に會計上の始末には最も苦心して多年來不始末なる貸下金又は官有物拂下代金の延滯等を如何樣にしても整理せんとて民間の義務者に向て難きを責めず種々雜多の事情を斟酌して恰も其言ふがまゝに任せ扨こそ無理足延期を許し又は元金の額を滅し又或は一度び延期減額したるものを利引一時上納など云ふ一奇法を工風して兔に角に帳簿上を一洗したることあり之が爲めに國庫に損したる所容易ならずして正に當局者の心を苦しめたる最中なれば三池炭山の代金上納に付ては決して右樣の不始末を許さずとの意味を明にし既往に懲りて將來を豫防したるまでのことなり時節柄とて左もある可きことながら正々堂々たる商賣上の約束書には不似合なる餘計の文字にして殊に利引一時上納と云ふが如き從前經濟上の用語にも聞かざる所の新文句を用ひたるを見ても其精神の在る所を知る可し故に命令書中に何等の事情あるも云々とは當時國庫の會計整理に際し人民より種々雜多の難澁を訴へ無理を申立たる其種の事情を云ふことにして別に意味あるに非ず三井に炭山を拂下げたれど數年ならずして例の如く難澁の次第を申立炭價下落賃金騰貴金融切迫商賣不景氣など謂れもなき苦情を竝べ立てゝ煩はしく出願することもあらん此慣手段には大藏省も再三再四懲々したる所なれば今回こそは何と出願しても決して之を許さず否な、出願することも叶はずと念の爲めに一言したるものに過ぎず然るに今この事情云々の語を根據にして膀立坑天災の損害を請負人たる三井に歸せんとするは抑も亦命令書の精神を解せざるものと云ふ可し若しも命令書にして斯る損害までも請負人に請負はせんとならば特に一條を設け此炭山は代金の上納を終るまで賣渡に非ず貸下なれども縱令ひ其貸下中に如何なる不時の災害を生ずるも其天災と人爲とを問はず之が爲めに收支概算書の豫算を齟齬せしめて收益皆無に歸することあるも大藏省の知る所にあらずと其責任を明にすること喩へば家屋の賣買を預約して其約束中の火災水難は賣買双方の何れに負擔す可しと云ふが如く簡單明白なる法文を記す可き筈なるに左はなくして唯曖昧なる第六條を掲げて代金の上納法のみを云々したるは當時天災等の事は大藏省の思案に洩れたるや疑ふ可らず既に其思案に洩れて之を言はず今日の實際に災に罹りたる處にて其損害の歸する所を求れば炭山の主人たる大藏省の外ある可らず第六條は以て大藏省の責任を免かれしむるに足らざるものなり

以上は我輩が實際の事情を根據にして私に詞證の是非を論じたることなれども方今天下の法論は次第に明にして又隨て次第に多言なれば一是一非必ず喧しきことならん就中炭山の果して賣渡なるか貸渡なるかの一點は成敗の歸する所なれば彼の命令書第五條に貸下云云とあるは單に代金上納の義務を重からしむる爲めに態と念の爲めに貸下と記したるのみ其實は賣渡したるに相違なしなど云ふ議論もある可し其邊は都て法律家の本領として爰に之を擱き我輩は別に法律外の人情に訴へて一言す可きものあれば之を次に記して大方の敎を乞はんとす(以下次號)