「 銀勢の變動に際して政府の維持を如何せん 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 銀勢の變動に際して政府の維持を如何せん 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 銀勢の變動に際して政府の維持を如何せん 

現内閣は能く民意を容れて之に逆はず既に地價修正案を議會に提出して又政費を節減

するが如き恰も在野政客の先を制したる姿にして甚だ妙なり殊に無用の政費を省いて

明治政府積年の宿弊を一掃せんとするの精神は傍より見ても賛成の外なけれども其所謂民意を容るゝの程度は凡そ何れの邊に止まるの覺悟なるや我輩の確と承りたき所なり方今我日本國は商賣上に外交上に正に日新進歩の秋なり海外諸強國と伍を成して文明の鉾を爭はんとするには行政の政府に至當の實力なかる可らず海陸軍の備を厚ふして外交の勢力を張り郵船商船の航路を擴張して貿易商賣の區域を廣くするが如き直接間接に政府の責任にして隨て之が爲めには國庫の金を費すことも亦大なり等しく政費と云ふも其費す所は一ならずして節す可きは極度にまで節するも一方に向ては之を節す可らざるのみか今より反對に大に費す可きもの少なからず軍艦の製造費は造船術の進歩と共に次第に増加し遠洋の航海は速力の進むに從て費用を要すること大なり左れば彼の政費節減と云ふも唯徒に國庫の負擔を輕くするのみの義にはあらずして裏面には必ず政費増加の大政案も存することならんと我輩の竊に企望する所なれども前期の議會閉塲以來今日に至るまで曾て一事の見る可きものなく一案の聞ふるものなきのみならず目下政府の主として心配する所は政務調査政費節減の一事にして其節し得たる餘剰金の用法に至りても尚ほ定論なきものゝ如し是に於てか我輩の最も掛念に堪へざる所は此餘剰の金を處分するに或は治水に或は監獄にとて種々樣々に分配する中にも其大部分を擧げて彼の地價修正地租輕減の費途に投ずることなきを期す可らざるの一事なり地價地租の事に就ては我輩は徹頭徹尾現政府に反對の意を表して幾回か痛論したることなれば其論旨は讀者の記臆する所なりと信じて爰に之を略し近日に至りて更に議論の根據を固くするの事情こそ出現したれば簡略に其次第を語らんに銀價の下落は世界の大勢にして之を支ふるに由なし數日以來の暴落は經濟社會の大變亂にして銀勢下落に走れば銀貨國の物價は其下落に伴ふて次第に騰貴すること數に於て免かる可らず或は今回の暴落は一時の變にして又或は回復することもあらん其一上一下は相塲の常にして確と明言す可らざれども假りに金銀の差を百と六十との割合に落付くものとしても其影響は决して容易ならず今後歳月の經過と共に次第次第に實際の物價に現はれて遂に經濟の勢を一變するに至る可し例へば目下米價は一石七圓五十錢の邊に在りと雖も銀貨の相塲を金に對して六十弗とすれば金貨にては僅に四圓五十錢なるが故に之を金貨國に輸出して必ず利益ある可し既に輸出の路を開くときは内國にて米價の騰貴は自然の數にして諸色も亦米に伴ふて昇らざるを得ず或は米に伴ふを待たずして獨立に輸出の道あり生絲の如き茶の如きは勿論、其他從來曾て外に出てざりし品物までも自然に金貨國の需に應して外出を企て隨て内國に聲價を高くす可ければ今より日本國は日に月に次第に諸色高直の世の中たる可きや萬々疑を容れず斯る世の中に立至りて政府は果して自から維持するの覺悟あるや否や今の歳入を八千萬圓と云ふ多からざるに非ずと雖も前記の銀相塲にして金に換算すれば唯四千八百萬圓のみ此僅々の歳入の中を節減して米價騰貴の僥倖を得たる農家の負擔を輕くせんとす苟も物の數を知る者ならんには其無勘定に驚かざらんと欲するも得べからず况んや國家の政費は事物の進歩と共に増すあるも減す可らざるに於てをや外國に注文する軍艦武器等の代價にても其豫算は齟齬したることならん外債の償還、在外公使館領事館の費用より其他官設鐵道の材料を買入れ又は彼の遠洋航海に補助を與ふる等都て金貨の世界に關係ある費用の道には國庫の一圓銀貨を半價に殺して使用せざる可らず又これを内にしては官吏の俸給を始めとして諸官廳の費用も諸色高直の世の中にて唯次第に不足を感す可きのみ無用の吏員を沙汰するは妙なれども有用の者を使用するに其俸給を減却せんとするか、當人の身と爲りては飲食衣服住居のもの一として價を増さゞるはなく從前の月給百圓は僅に六七十圓の實用を爲す其百圓を更に減せらるるとあれば實際の必要に迫られて官途を去るか然らざれば公務を等閑に附して竊に内職を營むより外に活路ある可らず何れの點より見るも今の銀勢の變動に際して政府の會計を維持せんとするは至難の業と云ふ可し唯その變動の影響する所存外に遲々たるが故に一時の姑息に農税を云々して民意を悦ばしめんとするか經世家の事に非ざるなり左れば今日政府の要は無用の政費を省くと同時に更に税源を求めて銀價下落の變に應するの工風こそ肝要なれ地租の如きも其低きに過るものを引上るとも殊更に之を減するの理由は萬々ある可らず若しも彼の餘剩金の用法に付き此要點を輕々に看過することもあらんには我輩の眼中には現内閣を見ず大日本行政々府の為めに謀りて飽くまでも其非を鳴らすものなり