「理財當局者の覺悟は如何」
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本文
銀貨の下落は經濟上の一大變動にして目下最も注目す可き大問題なれども其永遠の結果は
兎も角もとして差當り我國に及ぶ所の影響を考ふれば之が爲めに商品の輸出を奬勵し國内
の事業を發達せしむるの利uは疑ふ可らず銀貨の下落は取りも直さず金貨の騰貴にして其
差いよいよ甚だしければ金貨國より銀貨國への輸入は困難を感ずる其反對に銀貨國なる我
日本の輸出はますます揄チすること自然の勢にして内國の商品は隨て製造すれば隨て輸出
すると同時に其價も亦隨て騰貴するが故に日本の商賣貿易はますます繁昌を催ほし世界の
銀貨は國内に流注して中央銀行の如きは幾千萬圓の貨幣を積むに至ることならん日本國の
繁昌萬々歳と云はざるを得ず誠に目出度き次第なれども爰に注目す可きは銀貨の下落即ち
物價騰貴の爲めに政府の維持に困難を感ずるの一事なり商賣社會の繁昌は物價の騰貴に伴
ふこと經濟上の常態にして其騰貴は一般の爲めに寧ろ喜ぶ可き處なりと雖も政府の會計は
全く反對にして我輩が前號にも述べたる如く其歳入八千萬圓と云ふも銀の聲價に於て然る
のみ金と銀との相塲を百と六十との割合として金に換算すれば四千八百萬圓に過ぎず僅々
四千八百萬圓の歳入を以てして此内外多事の政局に當り果して能く諸般の政費を支辨して
政府を維持するの見込ありや否や軍艦軍器の製造費を始めとして外債の償還、公使館領事
館等の費用は何れも外の金貨國に支拂ふものにして豫算の相違容易ならざる可きのみなら
ず内に於ける官吏の給料、官廳の費目とても物價騰貴の爲めには何れも不足を感ぜざるを
得ず政費節減云云の談は當局者の毎度口にする所なれども此際に當りては政府の維持策こ
そ却て急務なれ其見込は果して如何我輩の聞んと欲する所なり
右は單に政府維持の一事にして何れにしても其關係は餘り大ならざれども日本經濟社會の
爲めに謀りて此際容易に看過す可らざるものは世間に於ける會社熱の流行なり今日は流行
の初期にして徴候尚ほ著しからざれども其流行の初めこそ禍機の正に潜伏する時なれば理
財當局者の最も注意す可き所なり其機の既に熟するに及んでは如何なる手段も效なければ
なり前年紙幣急縮の餘症として發したる會社熱の流行は凡そ四年間の永きに渉りて國中に
慘毒を流したること一方ならず兩三年來漸く回復したれども瘡痍の認む可きもの尚ほ少な
からずして其慘状は一般に記臆する所のものなれば之を前車の覆轍として呉れ呉れも警し
むる所なかる可らず盖し會社熱の流行は喩へば酒に醉ふと一般にして一時精~を興奮せし
めて心身の愉快活溌を覺れども其愉快活溌は酒の爲めにして其醉の醒むるに至れば一時興
奮されたる其度に應じて心身の衰弱を感せざるを得ず人間の生理に於て爭ふ可らざる所の
ものなり即ち會社熱の流行も一時の興奮盛なれば盛なるほど其割合ひに從て他日の衰弱を
來す可きこと經濟社會の生理に於て疑なき處なれば今の理財の局に當るものは其流行の未
だ甚だしからざる今日に當りて所謂經濟上の生理を考へ又前年の覆轍を鑑み其事情の容易
ならざるを察して豫め之に處するの大成算なきを得ず而して其責任たる極めて重大なれば
其局に當るものは政府部内にても最も適任の人ならざる可らず現在の當局者は果して其人
なるや否や或は平常に於ては適當の人物なりしとても今日の塲合は單に普通の財務を理す
るのみに止まらず一般の社會に勢力を有して其力よく他の狂熱を制し得るの人に非ざれば
不可なり我輩は今の政府中に其人ある可きを期するものなれども若しも之なきときは他に
求むるも可なり何れにしても其人を得たる以上は現在の地位に更迭を見るも亦已む可らざ
るを信ずるなり今の理財の當局に人を得ると得ざるとは啻に一政府の利害に止まらずして
其關係する所實に容易ならざるものあればなり