「兩貨制」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「兩貨制」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

(西洋諸大家の説に據るものなり)

今日世界の國々を大別すれば金國と銀國との二樣に區分するを得可し金國とは即ち金及び

金を代表する紙幣補助貨等を以て最も便利なる通貨と爲す國なり此種の國々は何れも富裕

にして商工業の組織も充分に完備し殖産の路大に發達して勞働者の賃錢高し英國、佛國、

米國等是なり又一方に於て銀國と稱するは商賣工業尚ほ未だ盛ならず賃錢の程度も低くし

て且つ人民一般の習慣、銀を以て最も便利なる貨幣と爲す國々にして例へば東洋及び南米

諸國の如き勞働者の賃錢一日僅に數錢に過ぎざる國にては實際の便利より云ふも人民の感

情習慣より云ふも銀貨を用ふる方金貨を用ふるよりも都合よければ目下の處、俄に金國に

變ず可き勢を見ず右の如く一方に金國あり一方に銀國ありて各々別々の通貨を使用しつゝ

あるを見て所謂兩貨制論者は是れ等の國々をして相互に聯合せしめ豫め金銀相塲の割合を

定めて其相塲に據り金銀貨の自由鑄造を行ひ金も銀も同樣に法貨として通用せしめんこと

を主張する者なり而して若しも此兩貨制にして實際に行はるゝことゝならんには茲に是れ

より生ずる二種の大利uあり

第一の利uは即ち金國と銀國との間に爲替相塲を一定すること是れなり凡そ甲乙の國が金

銀孰れにても同種の金を通貨に用るときは兩國の間に必ず爲替の定價なるものあり此定價

は或る短き時限内に甲國商人の乙國にて仕拂ふ金高が乙國商人の甲國にて仕拂ふ金高と附

合するときに始めて實地に現はるゝものにして其時には即ち一方の商人が例へば金一オン

スを自國にて仕拂へば其代りに他の國にて同じく一オンスの金を受取るの權理を贖ひ得可

し然れども實際の爲替相塲は通貨の需要供給の變動するに從て其定價よりも或は高くなり

或は低くなりて常に多少の差あるを免れず其差の最大量は結局正金を一國より他國に輸送

するの運賃に外ならずと知る可し右は二國にて同種の通貨を使用するときのことなれども

之に反して通貨の種類同じからずして例へば一方にては金を用ひ一方にては銀を用ふるの

塲合には兩國の間に爲替の定價なるものなし日本の商人が濱にて若干の銀貨を拂ひたる

其代りに倫敦にて受取る可き金貨の高は爲替相塲普通の變化の外に尚ほ其時の金に對する

銀の相塲、若しくは銀に對する金の相塲に從て變動することなれども元來金と銀とは供給

の源も異なり又消費の路も同じからざるが故に其相互の價格は時々大に變化することあり

左れば濱にて銀貨百圓を拂ふときは倫敦にて金貨大凡そ何封度を得らる可きや前以て之

を知ること難く或は一二日の前後に由て受取金額に容易ならざる差異を生ずることなしと

せず斯くては金國と銀國との商賣は二金國間、若しくは二銀國間の商賣よりも遙に不慥に

して損す可らざるに損し利す可らざるに利するの機會多きは免る可らざる所なり金國の商

人が銀國に物品を賣らんとするにも又銀國の商人が金國に賣らんとするにも其品物の代價

として先方の通貨を何ほど受取れば我に相當の利uある可きや豫め之を知ることを得ざる

が爲めに兩國間の商賣に非常の妨碍を與ふるは故らに喋々するまでもなし或は一の商人が

爲替相塲變動の爲めに損害を蒙ることあれば他に又これに由て利uを収る者あるに相違な

ければ其損得を差引して國の爲めに害を殘すことなしなどの説もあらんかなれども凡そ得

べからざるに得たる利uを以て商賣を奬勵するの功コは失ふ可らざるに失ふたる損亡を以

て之を沮喪せしむるの禍に及ばざること經濟の原則なれば爲替相塲の變動し易きは兩國の

爲めに取りて甚だ憂ふ可き次第なりと云はざるを得ず然るに兩貨制は前にも云へる如く金

國と銀國との間に通貨の聯絡を設けて以て爲替相塲變動の此禍害を免かれしめんとするも

のなり

兩貨制の第二の利uは即ち金銀兩貨を併せ用ふれば一種の通貨を用ふるよりも其品物に對

する價格に變動少なきこと是れなり盖し兩貨制實行の結果は恰も金鑛と銀鑛とを合併した

るものゝ如く二者の産出額をば互に平均せしめて非常の亂高下なきに至らしむればなり兩

貨制の反對論者は近來金銀の相塲にますます懸隔を生ずるの事實を擧げ人爲を以て之を一

定するが如きは實際に行はる可らざることなりと主張するけれども其行はるると行はれざ

るとは自から是れ別問題にして反對論者が既に今日金銀の價格一定せざるの事實を承認す

る以上は其心中既に兩貨制にして若しも實際に行はるゝものならば此上もなき良法なりと

のことを許したる者と云はざるを得ず

兩貨制の利uは概ね右に述べたる如し扨て次の問題は即ち此策が果して實際に行はる可き

や否やの一事なり抑も兩貨制は金銀自然の價格に多少の變更を與ふに非ざれば目的を達す

可らず然るに凡そ物の價は需要と供給との割合如何に由て定まるものなれば金銀の相塲を

變ずるにも第一に必要なるは其供給若しくは需要の高を變ずることなり而して政府の力は

能く之を變ずるに足るかと云ふに我輩は答へて勿論然りと斷言する者なり政府が金銀孰れ

にても撰んで貨幣と爲し之に法貨の力を附するときは其撰ばれたる金屬の需要大に揄チす

るは疑ある可らず例へば或國の政府が金一オンスに付き銀十五オンス半の割合にて兩貨制

を實行し金銀兩貨を以て負債消却の法貨と定めたりと假定す可し(即ち人民が負債を拂ふ

に當り金若干オンスを以てするも又は金の重量の十五倍半の銀を以てするも負債人の勝手

たる可き旨法律を以て布告するなり)而して法律發布の時の金銀の相塲は正しく十五半と

一との割合なりしと假定す可し扨て其後種々の事情に由り金銀自然の相塲に狂を生じて金

一オンスの價、銀十五オンス半の價よりも高くなるの勢を現はすこともあらんか兩貨制の

原則は忽ち働を始めて其勢を挫くに足る可し即ち銀の相塲下落するの徴あれば世人は皆銀

を以て其負債を拂はんとするを以て茲に假に銀の需要を揩オて其相塲上騰す可し又一方に

於て漸く高くならんとする金に對しては需要額に減少し誰しも金を以て負債を消却せんと

する者なきを以て結局金銀の價格は舊のまゝに十五半と一との割合に止まりて變動を生ず

ることなかる可し唯此際に必要なるは政府が他の金國の需要に應ずる丈けの金を國庫に備

へ置くことなり何となれば世界一般に銀の下落す可き勢ある其中に兩貨制の國に於てのみ

依然として舊來の相塲にて銀の自由鑄造を實行しつゝあるときは金貨國の人民は必ず爭ふ

て銀を輸入し金と引換へて持去る可ければなり之を要するに今日銀の次第に下落しつゝあ

る際に當り如何なる富國にても唯獨り孤立して兩貨制を實行するときは必ず國庫の金を悉

く外國に持去られ知らず識らずの間に純然たる銀國に化し終ることならんなれば愈よ兩貨

制の實行を見んとするには英米佛等少くとも三四ケ國の恊同一致するに非ざれば其成效甚

だ覺束なきが如し又兩貨制は决して近年の新發明に非ず歐洲諸國にては徃昔より之を實行

し來り是れが爲めに金銀の相塲を一定の割合に維持したるは事實に爭ふ可らず佛國にては

千八百三年に十五半と一との割合にて金銀兩貨制を實行し爾後數十年間これを繼續して何

等の大變動をも見ざりしが千八百五十年の前後數年間に米國カリフォルニア洲及び濠洲殖

民地にて金鑛の大發見ありて頓に世界に於ける金の産出を揩オ金價大に下落せんとするの

徴候ありしと雖も巴里の造幣局にては依然として十五半と一との割合にて金銀の自由鑄造

を爲せしを以て前に述べたる兩貨制の原則に從ひ金の需要は揩オて銀の需要は減じ其結果

として銀も金も共に一樣に下落したり左れば兩貨制は理論上より云ふも實驗上より云ふも

毫も差支なく實際に行はる可き方策にして目下經濟社會の大問題たる金銀の關係に付き世

界人民の心を安んじ商業上の恐慌を除去るには是れに勝るの名法ある可らず