「米國學生の美風傚ふべし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國學生の美風傚ふべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今度米國シカゴ府に開かれたる世界大博覽會は如何にも其名の如く大博覽會にして塲内の

廣き出品の多き一通り觀廻るもなかなか容易の事にあらず加ふるに洋の内外より寄來る見

物人の雜沓甚だしきが爲め老幼婦女子の輩には歩行も難澁なるにぞ夙に活溌機敏の聞えあ

る同國の大學生は此際夏期休業を利用して是等不自由なる見物人を轎に乘せて之を押し行

きながら説明案内の勞を取ると云ふ其業恰も我國の車夫輿丁に類したれば世間には之を以

て學生の體面を汚すものなりとして非難する人もあるべけれど我輩の所見に據れば决して

然らざるのみか却て是れ近來稀なる美擧にして斯くありてこそ始めて文明社會の學生たる

名に恥ぢずと謂ふべけれ特に事實に就ては三箇の注意すべき要點あり第一學生の金錢を重

んずる事第二其活溌なる事第三社會の禮儀に關する事にして抑も書生の修學中は父兄の資

力を仰ぎ他に依頼して衣食するの常なれども苟も金錢の貴きを知りて自營自活の道を見出

したる上は其道の如何を問ふことなく如何なる賤業にても之を執るこそ獨立男子の本意な

れ車を輓き駕籠を舁ぐはおろか泥濘を浚へ掃除屋を業とするも敢て辭す可きに非ず米國大

學生の此度の擧の如き夏期休業の間に儲けたる金を以て一年の學費に供して他の補助を免

かれんとするの企なれば之を我國の書生輩が他人に低頭平身して哀を乞ひ錢を貰ふて耻ぢ

ざる者に比すれば其氣力の相違天淵も啻ならず畢竟米國人が獨立を重んずると共に金錢の

貴きを知るが故なりと認めざるを得ず扨斯くの如く獨立の爲めに錢の貴き所以を知るもイ

ザ實行と云ふ塲合に至り左眄右顧、躊躇逡巡して兎角决斷の難きものなれば、思切て直に

之に着手する其身心の活溌を欠くときは折角の覺悟も有て甲斐なし殊に内外人の普く群集

する塲所柄に於て車夫輿丁の業を取るなどゝは我日本の書生輩が夢にだも爲し得ざる所な

れども流石は文明國の學生だけに氣輕手輕に思立て早速之に着手すると云ふ其活溌、其無

邪氣、我輩の賞讃して措く能はざ所にして天眞爛漫たるものと云ふ可し既に金錢の貴き所

以を知り又これを求るの手段を斷行するの勇氣あるも社會全般の習慣に禮儀を重んじて始

めて實際の運動を自由ならしむるに足る可し是亦米國固有の美風と稱す可きものなり我國

には駕籠に乘る人、舁ぐ人と云ふ諺さへある程にて勞働者と使用者との間には尊卑の別甚

だしきものあるが如くなれども本來を尋れば人間の職業に貴賤尊卑の分る可き筈なく駕籠

に乘る人は畢竟足の弱きものなれば其足の弱きものが強きものゝ助けを仰ぎて之に賃銀を

拂ふは恰も眼の弱きものが眼鏡を買うて視力を助くると等しく眼鏡を掛けたりとて別に其

人の位高くなる道理もなければ駕籠に乘りたりとて其人の身分尊くなる筈もある可らず尚

ほ之を喩ふれば病人が醫師を迎へて治療を乞ふが如し人の苦痛を救ふ醫師を見て其救は

るゝ病人より身分賤しと思ふ者はなかる可し斯く詮じ來れば駕籠に乘る人舁ぐ人とは畢竟

物の數を知らざる俗言にして駕籠に乘て輿丁を賤しみ車に乘て車夫を輕しみ病氣の治療を

乞うて醫師を卑しむるが如き無禮無作法は文明の社會に許さゞる談にこそあれば此度閣龍

博覽會に於て學生が車を輓けばとて之に乘て學生を輕蔑するの顏色なく輓く者も乘る者も

平氣にして周圍に之を怪しむ者もなきは正に是れ北米合衆國に行はるゝ自由平等の精~を

寫し出したる活圖畫なる可し左れば青年の書生が第一に錢の貴き所以を知り第二に其錢を

得るの方便を見出して氣輕に之に着手し第三に社會の氣風は禮儀を重んじて人の勞働を賤

業視せず以上の三者相互に聯絡して國民獨立の根本も始めて堅固なる可し大學生徒車を輓

くの一事小なるに似て决して小ならず我輩は日本の青年輩に向ても斯くあれがしと冀望し

て止まざると共に社會一般に於ても平等の禮儀に注意して他の運動を自由ならしめんこと

呉々も勸告する所なり