「米國の臨時國會に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國の臨時國會に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國の臨時國會に就て

過般以來金銀の問題に付ては毎度鄙見の所在を説き又歐米諸大家の論説をも記して讀者の參考に供したれども其立論の如何に拘はらず到底先見す可らざるものは今後銀勢昇降の一事なり目下世人の知らんと欲して最も熱心なるは唯この一事にして先見す可らずとは論者の千言萬語も畢竟無益の勞のみ或は昨日は八月七日米國の臨時國會開塲の日にして近日中に電報の到來もあらんには銀價の運命も始めて爰に定まり商賣社會の方向を決するに足るものある可しとて竊に待設る人もあらんかなれども我輩の見る所を以てすれば假令ひ今度の臨時國會に於て何か決議することあるも唯是れ一時の波瀾にして之が爲めに銀勢の大紛紜を一掃し去る可しとも思はれず今その次第を語らんに抑も金價國の根本たる英國の富豪大家にして此輩の勢力は能く自國の商界政界を制して恰も大英主宰の地位を占るのみならず世界中の各地に資本を卸して云はゞ海外に商賣工業の領地を所有するの有樣なるが故に金位を保護してますます高きに進ましめ以てますます其利益の大ならんことを謀るは自然の人情なりと云はざるを得ず或は銀價下落の今日に於ては英國の製造業は次第に其販路を狭くして結局國損を免かれずなどの議論なきに非ざれども間接の利害は身に感すること薄くして富家翁の心を動かすに足らず即ち各國貨幣會議に於ても主として兩本位等の説に反對する者は英國にして遂に熟談に及はざりし所以なり英國に於て然るときは他の國々の微力なる假令ひ無理と知りながらも枉げて其説に服せざるを得ず之を要するに方今世界の金位は英國の富豪大家に依て維持せらるゝものなりと云ふも不可なきが如し然るに之に反して米國に銀人(シルヴ〓メン)なる者あり是れは元と同國西方諸州の銀鑛に關係ある事業家に附したる名なれども今は次第に其區域を廣くして啻に銀鑛直接の事業家のみならず凡そ銀貨を所有し銀塊を賣買する等一身の運命禍福を銀に繋で其價の昇るに利し降るに損する者は都て銀人の名に漏れず此輩は米國の銀鑛地以外ニウヨルク。シカゴ其他繁榮の大都會に在て盛に商賣を營み遙かに英佛諸國に於ける同臭味の大商に氣脉を通して専ら銀價騰貴の一方に力を盡し其資本の大なる其運動の活溌なる往々世人の豫想外に出て耳目を驚かすもの多し彼の有名なるシャーマン法の如き其由來を尋れば當時銀人の一類が幾百萬弗を散して米國下院の多數を制し銀貨の自由鑄造案を通過せしめんとしたりし其論勢當る可らざるよりして遂に自由鑄造の代りに銀塊買収の窮策に出でたることなり以て其金力運動力の非常なるを知るに足る可し元來この銀人の一類は歐米に通して盛大なる一種のシンジケートとも云ふ可きものにして同盟投機を事とし射利一偏の目的にして眼中自國他國の別もあらざれば固より國家國益等の思想を存す可きに非ず况んや政府の如き之を憚るの念とてはなく唯これを玩弄して自家の便利を助けしむるの器械に用るのみ有る法律を利用し又は之を潜りて奇利を營むは尋常一樣の手段なれども銀人は則ち然らず自家の利益の爲めには政府をして無き法律を作らしむるものなれば今度の米國臨時國會に於ても銀人は如何なる運動して如何なる成跡を呈す可きや世人の豫め推測す可き限りに非ざるなり

右の次第にして金貨論者も銀貨論者も各々自家の利害の爲めに運動して他の自由を許さず政府を束縛して法案を動かすのみならず時としては學者の思想を左右して故さらに言論を作さしむることさへなきに非ず盖し西國諸國に於ける商權發達の極にして人間萬事金の外に物なく金力即ち權力なりとは正に今日の有樣なる可し故に彼の金銀貨の問題に就ても各國政府の意向を察し又は經濟家の論説を讀み斯くては其國の不利なるが故に云々の方針に變ず可し、從前の主義を改めざれば國家貿易上の不便なるが故に今後は斯くなる可し、學士何氏の立論、何氏の卓見などゝて尋常一樣の政策を想像し論説を信ずるが如きは遂に迂遠の譏を免かる可らず今の社會の底深き處には大商の利害に關する潜流の劇しきものを存して此潜流時としては全般の禍福に對して逆行することなきにあらざれば苟も理財の任に當る人は其事の理非得失を問はず兎に角に視察を頴敏にして臨機應變の覺悟なかる可らず學校に學び得たる經濟論の主義原則に安んじ獨醒を氣取りて却て不覺を取ることある可し米國の臨時國會果して如何なる議を決して如何なる事を報ずるや我輩は其一報に接して去就を決することなく一歩を進めて彼の商界の潜流如何を視察し更に臨機の謀を爲すと共に又退て國家百年の大方針を定めんことを欲する者なり