「傅染病研究所の始末」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「傅染病研究所の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

傅染病研究所の始末

本年春以來府下芝區の有志者が傅染病研究所を區内愛宕町に設立することに反對して研究所排斥の説を唱へ

毎度集會を催ほし又諸處に排斥論の演説會を開き紛々擾々の末七月初旬に至り有志者と私立衞生會との間に交

渉會を開き有志者も今日と爲りては學理上に於て設立の非を云ふにあらず唯區民の感情制す可らざるが故に

區内の他の部分に移轉せられたし其地所竝に費用の如きは有志者より給す可しと云ふに一方の衞生會に於て

は既に有志者が事の無害なるを悟り得たる上は無智の區民に向て説諭の勞を取られたし然るに今謂れもなく

他處に移しては其情實の如何に拘はらず有害を表白するの姿にして移轉したる其土地に第二の愛宕町を生

ず可し誠に際限なき次第にして其影響は全國衞生上の施政を妨るに至る可し云々の説にて雙方の意見相投

ずるを得ず折角の交渉談判も遂に不調に歸してより匝區民の激昂はますます甚だしく若し萬一も衞生會が區

の申出を拒みて今日の設計通り愛宕町に建築することもあらんには必ず不穩の沙汰に及んで意外の奇禍を生ず

可しとて今は有志者も却て自から之を心配するの情を催ほし事態切迫の折柄同月十六日北里博士は突然私立

衞生會に辭任書を呈したりと云ふ其文は我輩の未だ知らざる所なれども要するに研究所設立の可否論の如き

俗事に心身を勞しては專心一途に此學の研究に從事するを得ず本來の目的に非ざるが故に委托を辭す云々の

意味なるよし又博士は右辭任書の文面簡單にして意を盡すに足らずとて別に一書を認めて衞生會副會頭の許

に呈したりとて或人より其寫しを得たれば之を左に記す

肅啓柴三郎儀今般傅染病研究所長辭任致度候に付會頭まで一書差出置候得共書中尚柴三郎の微意を

盡さゞるもの多々有之候に付右は拝芝の上縷述致すべき積に御座候處口頭或は順序を紛亂するの恐有之

候故書取を以て閣下まで差出申候御一覧の上尚會頭へ御執達被成下候はゞ幸甚の至に御座候

元來傅染病研究所の儀に付ては本會會員諸君の賛成を得て去年十一月以來資金一年三千六百圓を給せら

れ尚又前期帝國議會の決議に基き政府より補助として創業費二萬圓の外に本年より三ヶ年間毎年一萬

五千圓づゝ支給せらるゝことゝなり一切の事業を柴三郎へ御委托相成候は不肖の身に過分の榮譽唯自

ら責任の重きに恐縮するのみ然るに兼て芝區愛宕町に在る内務省の所轄地を借用致し研究の爲め必要の

建築に着手せんとする折柄芝區民の一部分は區内に此種の設立を悦ばず傅染病研究所を設くるは危險な

りとて先づ區内有志者の會合を催して事の非を議定し新聞に演説に力を盡して研究所排斥の議論を鳴ら

し甚だしきは建築場の標木に墨を抹する者さへある程の次第にて其氣焔の盛なる殆んど當る可らず

事の理否は姑く擱き兎に角に斯る人氣の最中に工事を起すは却て益々他を激昂せしむることもあらんか

と其邊を慮りて建築も因循に日を送り會頭及閣下を始め評議員諸君の憂慮苦心は筆紙に盡す可らず一

方には學理の重きを重んじて他の一方には俗人の感情を和げんとし内に幾囘か集會を催し外に幾囘か

調停を試み陰陽表裡に周旋奔走せらるゝも曾て其效なく最終に區の有志者と本會員との間に交渉會をも

開きたれども本會は學理上又實際上事の無害を證して既定の設計を變ずるの要なきを説き有志者は學理

に於て害なきを了解すれども區民の感情制す可らざれば敢て移轉を促すとて遂に本會の説を容れず以て今

日に至りしことにて今後の事相を想像しても圓滑なる結果は到底望む可らざるものゝ如し

抑も學術の進歩は人事に先つの常にして爰に學理上に一新生面を開て其方向に進まんとするときは凡

俗の眼に映ずる所毎事皆奇にして人を驚かさゞるはなし啻に凡俗無智の輩のみならず上流の學者識者士

君子と稱する部分の人にても苟も兩間の事物活動の本色を會心せざる限りは往々此進歩に件ふを得ずし

て疾視の情を免かれず是れ世界古今の常態にして即ち輓近に發達したる黴菌學傅染病理の如きも醫

學中の最も新奇なるものにして柴三郎が僅かに之を獨逸國コッホ先生の門に學び得て日本に歸來し其學

流の端を開かんとすることなれば世に容れらるゝの難きも亦自から其處なり況んや菲才淺學自から省

みて足ざるもの甚だ多きに於てをや唯慚愧に堪ざるのみ左れば芝區民が此擧を悦ばずして樣々の説を作

し兎にも角にもして反對の意を表するは恰も人事の當然にして毫も怪むに足らず單に芝區民に止まら

ず世間尚幾多の反對者ある可きは柴三郎の夙に期したる所にして今更之に驚くに非ず又落膽失望する

に非ず如何なる反對に逢へばとて反對者其人に向て不平を抱くが如きは愼んで自ら禁ずる所なり畢竟す

るに此種の反對者は柴三郎の一身に就て云々するに非ず唯學術新奇の奇を悦ばずして端なく之を忌むのみ

歳月の經過に從ひ其自から悟りて斯道に歸し此術を利用し又其功コに浴するの日ある可きは自から信

じて疑はざる所なれば今日柴三郎に於ては一點の不平なく所謂天をも怨みず人をも咎めざるものなれど

も唯此に難澁至極なる次第を申さんに研究所移轉の議芝區に起りてより以來俗談の爲め學情を妨げ

らるゝの一事なり元來學術に思想の緻密を要するは固より論を俟たざる其中に就ても我黴菌學の業たる

至細至微にして其窮理の微妙に至りては筆以て記す可からず口以て言ふ可らず一室の中に孤坐して

種々無量の工風を運らし或は器械藥品を利用し又新器械新藥品を作り此れを思ひ其れを試み思案

して得ず試驗して中らず時としては終日食はず終夜眠らずして唯心を一方に凝すのみ此時に當りては

一片の落葉窓を打つの響も心緒を紊ることあり斯くまでに精神の静肅を要する事業なれば之に當る學

者にして俗塵の喧しきに近く可らざるは推て知る可し即ち黴菌學者の如きは眼中人もなく物もなく純

然たる出世間脱俗の境遇にして始めて能く事を成すべきものなるに然るに過般以來傅染病研究所の事情を

察するに芝區民の苦情と云ひ有志者の運動と云ひ世上の風聞に喋々囂々たれば本會に於ても之を度

外視するを得ず而して柴三郎は恰も其衝に當るものゝ如くにして本會の集會議席に參坐するは無論或

は區内有志者の訪問に逢ひ或は會員其他知己朋友の來るあり其疑問に向ては辨ぜざるを得ず其懇談に

は答へざるを得ず人の出入文書の往復其煩はしきこと殆んど名状す可らずして事は則ち都て俗用な

らざるはなし既に俗事に心身を用ふるときは其之を用るの時は長からざるも其時間に精神を俗了して

復た學事に適すること容易ならず之を喩へば酒を飲む者が之を飲むに費す時間は暫時なるも其醉は數

時間に持續して醒めざるが如し柴三郎の如きは近來毎日俗談に醉倒するものと云ふ可し本領の學事に怠

るなからんと欲するも得べからざるなり或は今囘芝區研究所の紛紜をして幸に平和の終局を得せしむるこ

とあるも將來更に又第二の芝區を生じて更に又本會の累を爲し隨て柴三郎一身の學情を攬擾するの虞な

しとせず之を要するに我邦今日の風潮にては黴菌學の研究尚早しと云ふも不可なきが如し斯る風潮に激

して盛大に事を行はんとするは徒に歳月を空ふするのみ名は研究所にして研究の實を擧ぐること能はず

本會の御委托に背くも亦甚だしからずや右の次第なるにより從前の御厚意に對して不相濟ことゝは存候

得共傅染病研究所長御委托の儀此度辭任仕候事に有之候間會頭に於て御聞届相成候樣御取計の程奉願

候斯く辭任は致候得共學術の一事に至ては決して斷念するに非ず公共の關係を以て事を行へばこそ世

間の耳目に觸れ易くして自から反對をも招くことなれども之を私にするときは他の注意を免かれて却て竊

に事の擧ることあるべし一書生の微力果して成を期するは頗る覺束なき次第なれども黴菌學の研究は

柴三郎畢生の目的にして又他事あらざれば唯事業の遅々たるべきのみ寸效を奏して本會の厚誼萬分の一

に報ずることを得ば本懐の至りに候區々の微衷尚御諒察奉願候也

明治廿六年七月十七日

大日本私立衞生會副會頭長與專齋殿              北 里 柴 三 郎

以上の陳情書を一讀すれば北里氏の意は唯研究所の紛紜に付き俗談の煩はしきに堪へず其煩はしきが爲め

に貴重なる時を失ふて研究の事を等閑に附するは學者の本分に非ざるが故に委托の任を辭すと云ふものゝ如し

實に止むを得ざる次第にして尤至極なりと云ふの外なけれども國家の眼を以て我醫事の大勢を視察し其消長

如何を思へば無限の憾に堪へず世間必ず多少の議論ある可し我輩も亦自から見る所なきにあらざれば之を

次に記して讀者の教を乞はんとす  〔八月十一日〕