「方今の對外思想」
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時事新報に掲載された「方今の對外思想」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
方今の對外思想
世人の言に我國民の對外思想は輓近大に發動し來りたりと云ふ葢し朝野の政治家が夙に國内の爭權にのみ拘泥して恰も世界進歩の大勢を度外に擱き然かも其爭のますます陋劣に趨くより漸く之に嫌厭を催ほすと共に斯くては對外立國の大計を如何せんとて憂惧こもこも到り扨こそ對外論とあれば意外の人氣を以て好遇せられて隨て世上俄に其思想發動の景況を呈したるものならん誠に左もある可き順序にして國家の爲め大賀す可きに似たれどもツラツラ其所謂對外思想とは如何なる性質を帯びて如何なる方向に如何なる兆候を現はしつつあるやと吟味すれば我輩は實に索然たるの感なき能はず海外殖民論の多少勢力を加へたる抔は此思想の反響も亦與りて力ある可しと雖も其他數へ來れば朝鮮事件に大石公使の活溌なる擧動を喜びたるが如き葡國裁判權問題に斷然たる色を示したるが如き内地雜居論に鋭意なるが如き税權論に熱心なるが如き海外在留本邦人の紛紜に激昂するが如き本邦居留外國人の土地買入を囂々するが如き率ね此類の兆候は世人の認めて所謂對外思想の發動と稱する所の者なるが如し凡そ國際交渉事件の起る毎に人心の激昂するは常の事にして毫も怪むに足らざるのみか大石公使の擧動決して不可なく葡國問題また猥に寛假す可きにあらず雜居論の講究可なり税權論の審査最も善し在外日本人の抂辱を憤らざる筈なく居留西洋人の不法を問はざる筈なし道理の命する所は之を執て動かざるこそ固より本意なれども其或は激昂し或は痛論する所以のものは本來その事の當不當を云ふの外に唯外國に對して強硬讓らざるの筆法を喜び苟も強硬とあれば熱心これに左袒するものには非ざる歟更に適切に言へば外國を敵視するの精神のみ獨り熾んにして之を友視するの情誼極めて薄きものには非ざる歟即ち方今の對外思想は専ら敵愾的の性質を帯びて敵愾的の方向を取るものと我輩の窃に推測する所なり如何となれば之と反對に平和的の對外思想即ち彼國人と我國民と通商貿易等に結托往來して互に商利を交換するが如き事に至ては毫も進歩の實なきのみならず却て彼の敵愾的思想の爲めに妨碍せらるゝの傾向さへあればなり一概に對外思想と云ふも斯る偏固なる思想の發動は果して我國家の爲めに慶す可きや否や自から一考の價ある可し數年前世に亦別種の對外思想を催ほして外に對するには風俗習慣より法律制度に至るまで都て泰西に摸倣せざる可らずとて洋風靡然として吹渡り果ては舞踏三昧にまでも耽りて一時人の耳目を驚かしたる事ありしが幾干ならずして事の極端に走るを慎み漸く常に復せんとしたる折しも其反動は宛然たる鎖國攘夷の氣風を釀成して現に今尚ほ消滅に至らず而して方今の對外思想なるものは實に此鎖攘的の臭味を脱却せざるものゝ如し果して然らば彼の極端なる歐化主義の有害なると同じく亦この極端なる鎖攘的敵愾心も共に國家に不祥にして人は漫然として對外思想の發動を喜ぶと雖も我輩は少しく顧慮する所なき能はざる者なり抑も我國が外國と對等の地歩を占めて獨立の面目を全ふせんとするには漫に權利を主張して條約改正等を實行すればとて未だ以て目的を達するに足らず國の實力にして對等ならざる限りは條約の文書の如き反古も同然のみ例へば巨萬の資本を以て正々堂々の商業を營む大富豪と市井の小商賣と對等の條約を訂結したりとせんに文面は如何にも對等なれども實際に對等の權力を得可らざると同樣にして國交際の要も亦唯實力の如何に在るのみ此實力を如何にして収む可きや外人を敵視す可きか友視す可きか、苟も實業の考あらん者は自から發明するに難からざる可し極東の日本國内に籠城して粉骨碎身すればとて果して何等の功を立つ可きや今日の大計は唯須らく外國と共に進み外人と共に携へ廣き世界に運動するの一法あるのみなるに此時に當り苟も外に對して鎖攘風の議論とは抑も亦國家の利を知らざる者なり俗諺にものも言ひやうで角が立つの警あり我輩の外交主義は益もなき事に議論の角を少なくせんとするに在るのみ左れば内外人民の交際に時に或は權利を爭ふて強硬手段を取るの要用もある可しと雖も是れは内國人相互の間に於けるも同樣にして特に外國人なるが故に云々するの理由はある可らず之を敵視するも友視するも人間に普通なる道理の範圍内に運動するのみにして其間に毫も内外の別なからんことこそ願はしけれ人民の外交親密にして平和なれば政府の外交も亦親密にして平和ならざるを得ざること自然の數なり彼の人民同士の外交を務めずして徒に政府の交際政略のみに注意し動もすれば輙ち激昂せんとするは外交の野暮なるものと云ふ可きのみ今の對外思想は政界の紛擾を厭ふて立國の大計を定めんと欲するものなりと云ふ果して然らば其目的に從て思想の方向を決す可し岐路に迷ふて悔を殘すは我輩の取らざる所なり