「社會好尚の變化」
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時事新報に掲載された「社會好尚の變化」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
社會好尚の變化
日本は世界の優美國なり山川の秀麗なる風土氣候の清涼温和なる既に天然の美を備ふるのみならず其工藝技術に一種特色の風致を存して到底他國人の企て及ぶ所に非ず此天然人為の妙所は日本をして優美國の名を成さしめたるものにして近來世界各國の人々が頻りに我國を稱賛して來遊を企つるもの多きは畢竟優美國の美を探らんとするが爲めに外ならざれば今後ますます其來遊を促して我れに利する所あらんとするにはますます固有の美を發揚して日本をして世界の遊園たらしむるの工風なかる可らず左れば天然の風景は之を維持保存してますます其美を添へ工藝技術はますます奨勵して其妙所を發達せしむるの注意こそ最も肝要なるに今の世間に於ては美術云々と喧しく唱へながら事の實際に却て其目的に反するの擧動あるは我輩の竊に惜しむ所なり盖し美術の好尚は人々の思想より發するものにして時に隨て變化するの常なれども王政維新以來日本社會の好尚は頓に其調を低くし高尚優美なる自然の趣を失ふて人造的に野鄙に陥り自國固有の妙所を忘るるに至りたるが如し聊か其次第を語らんに日本の美術は遠く王朝の時代に源を發したるものなれども實際に發達進歩したるは徳川の治世三百年の間にして都人士の好尚は極めて高尚の域に達したるものなりしに維新の革命に諸藩の士人輩が都下に入込みて社會の上位を占めたるより其好尚は全く一變したり否な其調を低くしたり本來その士人輩は所謂田舎武士にして武骨殺風景、生來美術的の趣味を解せざるものなる其上に當時一般の氣風は舊物破壊の一方に傾て苟も封建時代の遺物とあれば政治文學宗教の事より社會百般の好尚嗜好に至るまでも一切破壊し去らんとするの精神にして甚だしきは日本三景の一なる松嶋の松さへも採伐して薪と爲したる程の始末なれば徳川の時代に發達したる好尚の如き靜に之を玩味して無限の趣味を解するの餘裕などある可らず滿目の風景たゞ殺伐を極むるのみなりしかども凡そ人生發慾の第一歩は飲食衣服住居の物にして彼の武骨殺風景なる田舎武士も都下の風に馴むに隨ひ先づ其慾心の端を茶屋料理屋に發き一夕の登樓鯨飲豪〓以て〓を散するに過ぎざりしものが次第に馴みを重ぬれば次第に趣を生じ其酒の甘くして肴の美なるは田舎の郷味の比に非ざるのみか殊に眼を驚かしたるは家屋の構造、堂内の装置、庭園の趣向にして紅塵百丈の中に猫額大の別乾坤を構へ無限の工風を凝らし數寄を盡して見え隱れの邊に大に錢を費したる處などは田舎者の眼より見て得も云はれぬ風致にして感心せざらんと欲するも得べからず况んや衣服の意匠に於てをや唯田舎風の無粹を愧るのみにして漸く都下の時樣思付を學ばんとする折柄、西洋諸國との交通も次第に頻繁と爲りて次第に彼社會の有樣を見聞するときは又自から心を動かす可きもの少なからず是に於てか其輩の中にも自から一種の好尚を生じて其勢力次第に社會の氣風を支配するに至りたるものゝ如し試に今の貴顯紳士と稱する輩の家に往て其家庭庭園の有樣を見れば狭き敷地に不釣合に大なる家屋を建て表向を洋風にし奥向を日本風にするは先づ一般の定式として扨玄関より罷り通れば廣き一間あり所謂應接の間と稱する客間なる可し室内の一隅に古銅佛又は木石造の立像若しくは甲冑の類を立并べたるは西洋風に倣ひたるものならんなれども床の間に朱檀の机を安んじて其上に一幅を掛け傍の柱に花籠を吊したるなど宛然茶屋の坐敷に入るの趣あり而して客に供する火鉢、煙草盆、茶器の類を見れば何れも茶屋的のものに非ざるはなし又庭園の風致は如何と云ふに奇石稚松を點綴して盆大の小池に金魚を養ふなど茶屋の内庭と趣向を同ふして適ま適ま廣き處あれば平方形の芝園と爲し又は趣もなき花卉の類を規則正しく排列する等、物數寄にも西洋風を氣取るものゝ如し以て主人の好尚如何を知るに足る可し主人の好尚既に斯の如くなれば其奥向の體裁如何、家人の衣裳飲食遊戯の樣如何も亦推知するに難からざる可し盖し徳川時代に發達したる美術上の思想は云はば規模の廣大なるものにして其壮麗優美なる趣は固より料理茶屋などの間に面影をも寫す可らず然るに今の貴顯紳士の流は維新以來貧書生の俄に立身して俄に都化し洋化したる輩にして茶屋風の風致を以て唯一の模範と心得これに加味するに西洋舶來の趣向を以てして自から得々たる者なれば其調子の低きも固より自然の勢にして怪しむに足らず又咎るにも足らずと雖も凡俗世界の見る所にて貴顯は則ち貴顯なれば上の好むの所、下これに倣ふの恐れなきに非ず若し萬一も今日の變調野鄙の好尚が次第に一般に波及しては輕々に看過す可らず我輩は次に其事實に論及して世人の注意を乞はんと欲するものなり