「箱庭的の趣向」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「箱庭的の趣向」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

箱庭的の趣向

王政維新の當初には舊物破壊の精神頗る盛にして有名なる城郭殿堂を用捨もなく取毀ちて國内の偉觀を失ひ又は名所舊蹟の樹木を採伐して風致を損するなど全く暗黒世界の有樣なりしが當時破壊の主唱者なりし田舎武士の輩も次第に都下の風に馴むに隨て次第に都化して武骨殺風景の故態を脱し嚴然たる貴顯紳士の地位を占めて社會の上流に位するの身と爲り扨從來の擧動を顧みれば一時の狂熱に乗じたる小兒の戯にして其非を悟りしものか遽に心付きたるものゝ如く舊物保存美術奨勵など唱ふるに至りしは人事自然の數とは云ひながら社會の爲めに喜ぶ可き次第なれども本來其人々の思想は如何なるものなりやと云ふに茶屋料理屋の中より發生したる好尚に聊か西洋舶來の風致を加味したる變調野鄙のものにして迚もお座の上に語る可らざるものなるに世間一般の人は只譯もなく之に唱和するのみならず其筆法を實際に試み所謂箱庭的の思想を以て天然の風景を俗了し去らんと企つるものさへあるこそ困却の次第なれ今その二三の例に就て云はんに伊勢に神苑會なるものあり其目的は神宮附屬の古器古物を保存し又その境内の神聖風景を維持するものゝよしなるが近來聞く所に據れば古器物を永久に保存するが爲めなりとて宏荘堅固なる煉瓦石の建物を境内に建築するの計畫ありと云ふ古物の保存固より必要なれども自から他に方法もある可し老杉鬱々溪流潺々神世のまゝに神さびたる境内に煉瓦石の建物とは不釣合も亦甚だしく恰も茶の湯の席にビーフステッキの出現したるが如くにして寧ろ其神聖風景を損ふものに非ずや又同國に在りて有名なる二見ゲ浦の如きも前年何かの時に當り海岸より岩に至るまで棧橋を掛け又眺望に妨げありとて突出したる岩の一角を缺んとするの議さへありしと云ふ二見ゲ浦の景色は双岩の間に旭日の昇るを眺むるこそ其特色なれ棧橋を掛けて岩に登るさへ既に殺風景を免れざるに假令ひ一角の微とは云へ一時の出來心より千歳不磨の岩を缺きて天然の風致を損するとは抑も何の心ぞや其他三井寺の境内に公園を開くの計畫ありと云ひ又日光にも同樣の企ありと云ふが如き何れも天然の美を外にして箱庭的の考に出でたる殺風景の談なれども就中京都丸山に公園を設けんとする計畫の如き我輩の最も其意を得ざる所なり京都の京都たるは山川の風景に富めると名所舊蹟の多きとの爲めにして其山川景勝自から相湊合して京都と名くる一大公園を成すものなるに其大公園の中に更に小公園を設くるは恰も風景の切賣を爲すに異ならず殺風景の甚だしきものと云はざるを得ず從來是種の事に於ける日本人の好尚は極めて高尚優美にして今日の如き野鄙のものに非ず例へば家の構造の如き品に據れば細微の點に注意して數寄を極めたるものあれども大體の趣向は昔しの御殿風の屋敷と今の貴顯紳士輩の邸宅とを比較して孰れが優美にして孰れが野鄙なるか其相違を見て知るに難からざる可し又庭園の風致の如き今人は目前の草花竹石にのみ意を注ぎて兎角箱庭的の思想を脱せざれども昔人は然らず廣く天然の風景を利用して自家園中の物と爲し以て其規模の大なるを喜びたるもの多しと云ふ「我庵は松原遠く海近く富士の高峰を軒端にぞ見る」と云ふが如き富嶽の翠嵐白雪を以て恰も吾家の物と爲したるは單に歌人の空想のみに非ず昔しより有名なる庭園別荘の如き大抵この種の趣向に成りたるは現に其遺跡を見ても知るを得べし然るに近來は全く反對の現象を顯はし西洋の風に傚ふて公園の設置など唱ふる其公園とは如何なるものなりやと云へば恰も天然の風景を切賣し箱庭的の小細工を施して却て固有の美を害するものなり畢竟維新以來一般の好尚甚だ野鄙に陥り貴顯紳士輩の庭園の如き茶屋料理屋の構造装置を雛形として自から得々たるの結果に外ならざる可し抑も社會の好尚は次第に發達するものなれば今の貴顯紳士の輩も次第に其發達に隨て自から野鄙殺風景を悟るの時ある可し今日は正に發達の中途に在ることなれば其好尚の低きも致方なけれども一個人の事は兎も角もとして日本の山川風景は外國人の來遊を促す一大誘原にこそあれば我輩はますます其美を發揚し日本國を世界の樂園としてますます其來遊を促し大に利せんとするものなるに種々の人工を施して却て天然の美を損せんとするものあるは奇怪の至りと云はざるを得ず聊か一言して世人の注意を乞ふ所以のものなり