「米國の臨時國會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國の臨時國會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國の臨時國會

は銀問題に就き如何なる決議に至る可きや過般以來同國諸新聞紙の所記を見れば彼のシャーマン法廢止の議案には上下兩院共に多數の賛成者あり唯金論者は無條件にて之を全廢せんことを主張し銀論者は此法律を廢止する代りに新に銀貨自由鑄造法を制定せんと欲し其爭の爲めに議事も大に手間取るよし米國の銀勢は日本の實業社會にも影響する所固より少なからざれば其決議の報道を待つこと一日三秋も啻ならざりしに一昨夜來昨日に掛けて彼の國より到來の電報にシャーマン法の廢止案は下院に於て可決、又銀貨自由鑄造案は否決せられたりとあり抑も現大統領クリーヴラントは強硬なる金論者にして飽くまでも自由鑄造説に反對する者なれば假令ひ該案が上下院を通過することあるも大統領の職權を以て否拒す可き程の勢なるが故に目下米國に於て銀貨の運命を回復するは先づ以て見込なきものゝ如し然りと雖も金銀問題の影響する所は極めて廣大にして其成行如何に由ては關係者の身に取りて百千萬弗の損得となることなれば或は如何なる邊に如何なる大勢力の隱伏するありて今後更に政界の運動を左右するやも計る可らず又經濟社會の實際に於ても歐米諸國の政府が果して金本位の貨制を維持して國を利するの成算あるや否や甚だ疑はしきのみならず金銀狂亂の爲めに今日の事實に現はれたる所を見れば彼の國々の製造に貿易に唯困難を感するのみにして一利を利したるの談を聞かず斯くまでに不利なる貨制にして尚ほ之を維持せんことを勉めて金尊銀卑の政略を取るものは畢竟するに政府自發の略にはあらずして自から政府をして然らしむるの原動力あるが故なり即ち資産を黄金の名義にして私有する無盡藏の大家が世の中に法貨の數を少なくして資産を膨脹せしむると同時に物價の下落を利し世界の經濟を犠牲にして自から奉ぜんとするの私心に原因するものなり世に銀人の狡猾を言ふ者あり我輩これを知らざるに非ずと雖も其狡猾にして私利に熱するの情に於ては金人亦銀人に異なる所あるを見ず之を要するに今の文明世界の経済は金人銀人の玩弄物と云ふも不可なきが如くなれども凡そ人間に大切なるは社會の安寧秩序なれば今の金人の頑陋、銀人の狡猾を以て果して文明各國の治安を害するの極に至りて金銀の難問題も始めて其定まる所に定まることある可し固より銀貨國人たる吾々の關する所にあらず我輩は唯これを傍觀して獨り自から進歩を謀るのみ

左れば今回米國にて銀貨の自由鑄造案が否決したりとて決して永久の敗北に非ず一敗更に再擧して遂に銀人の目的を達するか或は金銀雙方歩み合ひの議もある可し假りに爰に想像を書き米國政府にて愈よ自由鑄造を實行することゝ爲りたりとて扨て其結果は如何ならん歟とは世人の皆共に知らんと欲する所なれども元來自由鑄造とは政府に於て金銀の相塲をば豫め相當の割合に定め置き何人にても造幣局に銀塊を持來る者あれば其割合を以て之を貨幣に鑄造し與ふるの仕組なるが故に此制を實行するに當りて第一に決定す可きは即ち金銀相互の價格にして其價格の割合如何に由て大に實際の結果を異にす可きは論を俟たず若しも今日銀黨政客の主張するが如く米國造幣局が金一銀十六の相塲にて自由鑄造を始ることもあらんには世界中に銀を所有する者は皆其銀を米國に持來りて一と十六との割合を以て金と引換へ銀を殘して金を持去る可く其結果として米國は知らず識らずの間に純然たる銀貨國に化し去る可しとの説最も信ず可きものゝ如し盖し米國は世界無比の富國にして隨て政府の信用非常に大なれば國の金源乏しきを告るときは外債を募りて巨額の金塊を得ること難きに非ざる可しと雖も何分現在の金銀相塲凡そ一と二十八との割合なるものをば突然一と十六との割合に引上るは非常の激變にして(一と十六との割合にては為替相塲凡そ百弗と爲る可し)流石の合衆國と雖も恐らくは之を成遂るの金力に乏しからんとは學者社會の與論なり左りながら若しも米國政府が斯の如き急激の政策を採らず例へば一と二十四若しくは二十五と云ふが如く現在の相塲と餘りに懸隔せざる割合にて自由鑄造を始めたらんには同國一箇の力を以て世界の金銀相塲を制定し故障なく兩貨制を維持すること敢て難きに非ざる可し何となれば合衆國政府が盛に銀貨を鑄造し金と銀とを同樣に法貨として使用するとあれば其新聞の發布と共に銀價は忽ち上騰するは必然にして其上に米國政府が約束通り求に應じて颯々と銀を金に引換へて躊躇することなきときは銀の相塲を高めて金價の二十四五分一までに上らしむるは容易なる可ければなり要は唯華聖頓の國庫に金銀引換の求に應ずる爲めに必要なる丈の金を準備するの一事のみ而して其準備金とても實際に使用せらるゝは唯最初の數日若しくは數週間に止まり愈よ合衆國が兩貨制を維持するの力ありと認めらるゝ以上は復た態々同國に銀塊を持行き金と引換ふるが如き無益の勞を取る者なきに至る可きは明なりと識る可し右の如く凡そ一と二十四五の割合ならば米國の獨力にて兩貨制を實行し世界の金銀相塲を一定するは決して難事に非ざる可しと我輩の信ずる所なれども同國銀黨の意氣込は中々盛にして或は金銀の相塲は一と十との割合ならざる可らずなど唱ふる者さへある程の次第なれば此種の人々は少くとも金一銀二十以上の割合を以て自由鑄造を實行するに非ざれば滿足せざるならん今日米國は歐洲諸大國の力を借らずして獨り自から金一銀二十の自由鑄造を行ひ以て兩貨制を維持するの力ありや否や目下の一大疑問なり之を要するに米國にして若しも自由鑄造を實行することゝならば假令ひ謀成らずして銀貨國に化し去るとも亦其目的通りに首尾よく兩貨制を維持し得るとも何れにしても銀價は必ず著しく騰貴するに相違ある可らず此度の臨時國會の決議の如き未だ以て金銀の運命を定めたるものとするに足らず人事の窮達は其極度に至りて始めて分かるゝを常とす文明國人が今の貨制を維持して黄金家の私を逞ふせしめ内國の製造も外國の貿易も次第に衰頽して一般の不景氣を催ほし小民の困窮その極度に至りて始めて自から省みて既往の非を悟ることある可きのみ