「行政權甚だ振わざるが如し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「行政權甚だ振わざるが如し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

行政權甚だ振わざるが如し

政體の如何を問わず政略の如何に拘わらず苟も一國の政府に欠く可からざるは行政權の〓

固にして其働の活〓なる一事なり國内の安寧秩序を保つは政府の職務にして其職務の擧ると擧らざるとは一に行政權の働き如何に由るものなれば若しも其働を失うときは政府は有れども無きに異ならず國内の安寧秩序は忽ち〓亂して無政府の有樣を呈出する外なかる可し抑も政權の〓固活〓とは徒に威力權勢を張る義に非ず唯政府正當の職分を盡すまでにして別に六ケしきことに非ず或は文明の〓むに〓ひ政府の組織も次第に變化して法律規則の繁多に赴くと同時に民間の物議も兎角〓しきが故に政府の〓動は自から牽制さるゝに至ること自然の成行なれども行政權は然らず本來法律上に許されたる正當の職權にして之を行ふは政府の義務にこそあれば人民の私權に衝突せざる限りは飽までも活〓に〓動して苟も顧慮する所ある可からず即ち文明政府の本文を全うする所以なればなり明治政府〓來の擧動を見るに行政權は果して〓固活〓なるや如何、其權内に於て正當に〓斷執行す可きものも世論の反對を憚りて故らに躊躇する〓なきや如何、我輩の竊に疑ふ所なり或は現内閣の對議會策は頗る軟滑にして一定の主見なく一も民論二も民論とて只管民論に重きを置き行政上の整理改革を議會に向て約束したるのみならず我輩の〓までも不同意なる地價修正地租輕〓さえも民論を容れて斷行する〓心なりと云う傍より見れば誠に意氣地のなき次第なれども凡そ是種の事は所謂政略上の所置にして當局者の意見に存することなれば假令ひ如何なる愚を演ずるも他より〓を容る可きに非ず我輩の〓いて咎めざる所なれども行政權の一事に至りては單に現政府の利害に止まらず一國の安寧秩序に關係して其影響容易ならず苟も現政府にして行政の責任を負ふ以上は〓までも之を責めて其責任を明にせんことを求めざる可からず〓然たる政府はありながら其行政の〓動意の如くならずして政府たるものゝ威信も時として立ち難しとありては當局者の爲めに謀りて〓憾のみならず吾々人民の看るに〓びざる所又實際に〓惑する所なり例へば廣嶋愛媛兩縣下の漁〓事件の如き又芝區の傳染病研究所の始末の如き政府は何の憚る所ありて〓に處分せず其爭をしてますます甚だしからしめたるや殊に地方の行政上に於ては更に論ず可きこと少なからず彼の撰擧競爭に双方の撰擧人が〓士輩を使用して相爭ひ甚だしきは白日靑天に凶器を携へて人を傷け又は家宅に濫入するなど毎度の沙汰にして然かも其爭は十數日の間に渉るものさへもあるに地方の警察官等は如何なる取締を爲し居るにや大に行政權を使用して斷然たる處置ありしを聞かず或は撰擧干渉は禁物なりとて手を下すに憚る意味もあらんか政府が故もなく撰擧に干渉して其間に依〓贔負の擧動あるは宜しからぬことなれども斯る非行を傍觀して其亂暴を〓ふせしむるは行政の權を全ふしたるものとは云う可からず又地方の人民が郡長排斥〓動など稱して公然の〓動を爲し或は其〓動委員など稱するものが知事に面會を求めて排斥の趣意を陳〓すれば知事は之に對して部内の内〓などを話して恰も其輩を慰諭する口氣あるが如き我輩の折折聞く所なれども斯くの如きは果して行政權の使用を〓らざるものなるや否や我輩は敢て專制流の筆法を以て人民を威伏せしめんことを勸むるものに非ず文明の政治に愛嬌の大切なるは屡ば〓べたる所にして素より望む所なれども彼れは政略上の事にして是れは行政上の事なり彼是相混同す可からず或は地方云々の如き些々たる細事件にして中央政府の政權を傷くるに足らず意に介せずして可なりとて強いて大膽を装うものもあらんかなれども若しも是種の事を細事件なりとして捨置くときは〓士の亂暴博徒の横行も矢張り細事件として看〓せざるを得ず國内の安寧秩序を如何す可きや我輩は一個の國民として其有樣を見るに堪えざるものなり而して更に政府の爲めに謀れば大に〓意す可きものあるが如し誠に德川政府の末路を見るに積弊の由て來る所は甚だ久しと雖も實力の一點に於ては尚頼む可きものなきに非ず即ち兵力を以てするも金力を以てするも當時の諸藩中德川に匹敵するものなし嶋津の如き毛利の如き此點に於ては如何ともすること能わざりしも唯その行政の權甚だ振わずして〓浪輩の〓動を鎭壓すること能わず殆ど無政府の有樣にして國内の安寧秩序を被り爲めに人心を失いたるより〓に三百年の基礎を動かされたるものに外ならず今の政府の實力大なりと云うと雖も若しも行政權の働に欠くる所ありて國内の不取締を致し人民の心を失うときは如何なる事件出來するに至るやも知る可からず當局者の爲めに聊か掛念する所なり