「第十五國立銀行」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「第十五國立銀行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

第十五國立銀行

は世に所謂華族銀行にして資本金千七百八十二萬六千百圓、年々の利益少なからずして本年上半季までの總積立金は五百四十萬圓に及べり從來は國立銀行の特典もあり政府の筋に於ても特に華族を保護する内意に基き同銀行より借入れたる征討費の如き依然七分五厘の利息を拂いて今日に至りたるが故に本來家族財産の維持を目的にして單に營業の利を謀るものならざるにも拘わらず他の國立銀行に比較すれば自から利益も多くして行運の盛大を致したる次第なれども其營業の期限は來る明治三十年中に終りを告げ之と同時に征討費も償還さるゝことなれば(政府の都合に據りては必ずしも其期限を待つに及ばざる可し)其後の方針は如何す可きやと云うに聞く所に據れば銀行の當局者は其方針に關して株主の意見を尋ね妙案を得れば兎も角も別に意見もなきときは私立銀行として營業を繼續することならんと云う若しも滿期の後に至るも營業を繼續せんとするときは私立に改る外なけれどもに私立銀行と爲れば今日の如き特典なきは勿論、金融〓會に〓〓して一般の銀行と競爭するには其間に機敏活〓の働を要することにして華族の財産を安全に維持するが爲めには果して策の得たるものなるや否や一考を要する所なる可し或は從來同銀行の株券は華族外の他人に賈ることを得ざる内規なりしに今度その内規を止めたるに就ては株の賈買も自由にして若しも是までの株主たる華族の人々にして私立の營業を欲せざるものあれば今の中に其株を賈却して他に放資の道を求むるも可なるが如くなれども現に其株券の過半は世襲財産の許可を得たるものなりと云へば營業滿期に至らざる其間は勝手に處分することを能わざる可し元來同銀行の設立は華族の人々が共同一致その財産を維持する目的にして幸に今日まで安全に維持し來りたることなれば今更ら之を分解して銘々の勝手に一任するは最初の目的に非ざるのみか其金額も資本金積立金合して二千三百萬圓以上の大金にして如何なる事業をも經營することを得べきが故に矢張り今日までの如く共同一致して確實なる事業に着手すること得策なるが如し扨その事業をは如何なるものなりやと云うに私立銀行の營業も華族財産の性質に不似合なりとしてほかに確實なる方法を求むときは今日の經濟〓會に於て鐡道の事業こそ能く大資本を吸〓す可きものなれば我輩は此事業を賛成して其放資の手段には或は〓成鐡道の株を買入るゝなり或は新に敷設を企るなり事の宜しきに從ふ可しと云う中にも今の官設鐡道を買受るが如きはも最も適當の案なる可しと特に此一案を勸告するものなり曾て本紙上に論じたる如く官設鐡道の賈却は日本の鐡道擴張の爲めには是非とも必要にして早晩實行せざる可からざることなれば政府に於ても之を賈るに確實なる大金主あるこそ幸なれ双方の爲めに至極の好都合なる可し官有鐡道の建設費は凡そ四千萬圓なれども今日の相塲にては六七千萬圓の價ある可し華族銀行の二千何百萬圓にては固より不足なれども華族の銘々に就て見れば銀行株金の外に私産も亦少なからず且鐡道の賈却は會計法に從て公賈を布告するが故に世間の金滿家中に遊金の用法を求る者も多ければ政府の公賈には十分高い價を命じても必ず之に應ずるものありて六七千萬圓の資金を得ること敢て難からざる可し十五銀行の善後に關する始末を聞き聊か思付の儘を一言するものなり