「青年輩は何ぞ地方に歸らざる」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「青年輩は何ぞ地方に歸らざる」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今を距る二十有餘年の昔徳川政府滅亡のとき在江戸の諸大名は其邸宅を擧げて藩士と共に

藩地に歸住し徳川恩顧の士は一朝主を亡ひ碌を奪はれ復た爲す所を知らず流石繁華の都會

も俄に〓の消えたるが如く或は往時の武蔵野となりもやせんと一時人の心をして寒からし

めたることなれども維新の始め鳳駕東遷して首府を江戸に移し之を今の東京となせし以來

新都の繁昌は轉た昔日に倍したるこそ目出度けれ爾來汽車汽船の便を開て交通の道容易な

るに隨ひ其繁華は日にますます盛んにして東京は恰も日本の頭腦の如く頭腦動て四肢これ

に從ひ日本全國百事百物東京を以て中心となし文學技藝時樣の流行より人の思想に至るま

でも悉く其標準を東京に取らざるはなく地方復た獨立のものあるを聞かず事體斯の如くな

れば人才の中央に集まるも亦自然の勢にして苟も身に一藝一能を得て由て〓て名聲を博せ

んとするものは悉く東京に走りて地方の風光日に寥々たり官途熱心の士人が家郷を去るの

みならず學問脩業の少年輩も田舎に居ては就學の道を得ず假令ひ或は其道あるも田舎の脩

業にては學問の價なきものと心得、當人の之を希望して止まざるは勿論其父兄たるものも

亦無理に學資を才覺して其東上を促すの姿となり東京は左ながら地方青年の樂園にして畢

生の目的は唯此樂園に遊び以て青雲の志を達するに在るものゝ如し扨て此樂園の青年が苦

學勉勵、幸に其業を卒りたる曉に至り如何に其身を處すべきかは差當りの問題にして之を

今日迄の事實に徴するに一度び郷關を辭して大都會の風に吹かるゝ時は當初の立志如何に

拘はらず頗に田舎質朴の美風を失ひ東京料理の甘味に慣れては復た田舎の麥飯は喰ふべか

らず其衣食自から都化して華美贅澤に流れ愈よ田舎の質素を厭ひ遂に再び郷里に歸住する

もの稀なるが如し左ればとて東京に留て立身出世の計を爲すべきやと云ふに是亦容易のこ

とにあらず單に皮想上より考ふれば立身出世は都會に限るものゝ如くに思ふべけれども幾

萬の青年各地より出でゝ東京に輻輳し各々出世の途を求むるに急なれば自から事業に限り

ありて之を求むる人に限りなく事業は足らずして人は則ち餘りあるの勢にして到底身を立

ること難かるべし已に身に相應の敎育ありて其智識に相當する地位を得ること能はざれば

其不平不快は言語に盡し難く結局これが爲め煩悶の情に堪へずして遂には彼の壯士の如き

一種無賴の徒となり人には忌まれ世には容れられず以て一身を誤るもの比々皆是なり青年

者の爲めに謀りて此上の不幸はある可らず尚ほ其甚だしきに至ては國許に家産もあり名望

もある富有豪族の子弟にして百事意の如くならざるはなく其地方に在ては地位名望共に秀

でゝ人に敬せられ他に愛せらるゝの身分にてありながら大魚は小池に住まず田舎は男子の

居にあらずと志を决して東京に出で僅に下宿屋の二階に起臥して名もなき學校に通學し學

業未だ成らずして嚢中屡々空しく學び得たるは都下無賴の惡風のみ以て男子の本分を得た

りとして獨り自から得意なるもの少なからず其愚は笑ふべく國家の爲には歎ずべきの至り

と謂ふべし顧みて地方の状况如何を察すれば其人物の乏しき實に驚くに堪へたり人物乏し

ければ其思想の狹矮なるも亦自然の勢にして其間青年者の爲すべき事業は枚擧に遑あらず

と雖も曾て之に從事するものなく隨て地方より新思想の特發せし例あるを聞かず政治文學

の事は勿論商賣工業の事に至るまでも一として地方人士の腦裏より創始せしことなく百事

百物徒に都人士の餘瀝を甞め、此事は東京にあり故に此事は善し彼事は東京に無し故に惡

しと唯其有無を以て事の善惡を斷定し更に自己の量見を以て自から進んで之を判斷するの

智勇なく善惡邪正一に東京を以て之が標準となすの姿なり素より東京は我國の首府にして

人才の輻輳する所なれば百事全國に率先して其思想も自から高尚なるべけれども人才輻輳

して名論卓説の出ることあれば愚人も亦此處に輻輳して愚論愚説の行はるゝも亦自然の勢

なり然るに東京の論都會の説としあれば一も二もなく之を妄信採用して疑はざるが故に東

京の愚論は田舎の名論となり都會の愚説は地方の卓説となり往々識者の笑を招く塲合なき

にあらず特に縣治の不始末、郡政村政の不整頓なるが如き青年者の手を下すべき事業は一

にして足らず今若し在京の青年をして各其成業の日を待ち速に地方に歸住せしめなば地方

の率先者となり誘導者となりて中等以上の地位を占むるは甚だ容易の事にして復た衣食の

爲に身を貶して壯士と爲り遊治郎と爲りて空しく一生を誤るが如き不面目はなかるべし徒

に架空の大を望んで目前の小事を厭ふは我國青年輩の通弊にして加ふるに需流の敎ふる所

性となり細瑾を顧みずと云ひ庭前を掃ふに暇なしと云ひ利を談ずるを以て小人の事となし

空名を博するを男子の本分と心得るが如きは迂濶の沙汰にして今日の文明實業界の風潮は

空論を以て世に處するを許さず先づ身を立て家を興し衣食に事を欠かずしてこそ始て獨立

獨行の男子と謂ふべけれ即ち其立身出世の途は地方に容易にして都會に困難なるが故に苟

も獨立獨行の男子と爲り安心立命の地位を得んと欲する青年輩は一日も早く地方に歸住せ

んこと我輩の切に勸告する所なり