「敎育家の擧動に就て」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「敎育家の擧動に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

現任大臣就職の後、文部の施政を見るに別に著るしき變化はなけれども近來世間にて喋々する官立學校の官制改革を始めとして高等中學と私立學校との連絡の如き修身書選定の標準の如き又小學校の式日に關する注意の如き從來の方針と少しく色を異にしたるものあるに似たり素より些々たる細事件にして未だ當局者の本領を窺ひ知るに足らずと雖も從來文部の施設は一として不評判ならざるものなきに拘はらず今度の處置に就ては世間に反對の説少なきのみか寧ろ同情を表して或は當局者の意氣込み少しく急なるを見て親切にも其前途を氣遣ふものさへもある折柄、豈圖らんやヘ育社會に一種の反對論を生じ然かも其主唱者たるものは先頃まで文部に職を奉じ樞要の地位を占めたる人にして之に附和する舊官吏の輩も少なからずヘ育研究の目的を以て組織したる某會某社を機關と爲し全國のヘ育者に氣脈を通じて大に當局者に反對するの覺悟なりとか云へり近來の奇相にして世人の驚く所なる可し或は其反對者の專ら主張する所を聞くに今度の改正は官立學校の地位を低くし規模を縮めたるものにしてヘ育を重んずるの趣旨に非ず且現任大臣は曾て小學校の補助費を國庫より支辨するの説に贊成を表したるにも拘はらず近來の口氣に據れば意見を變じたるが如しヘ育の事に不親切なりと云ふに過ぎず其説の當否は兔も角もとして年來ヘ育の社會に身を投じ平生の見聞も自から其事に僻しヘ育を以て最大最重の事業と心得る輩に於ては當局者の施設を以て恰もヘ育を輕んずるものと爲し一意これに反對するも敢て怪しむに足らざれども其輩の如き久しく文部の部内に在りて相應の地位を占め曾て世間の攻撃を被りて反對の燒點に當り毎度その中の辛酸を味ふたるのみならず今の當局者とは同じく明治政府に仕へて自から同僚同穴の情誼もあることなれば若しも其人に對して言ふ可きこともあらば自から手段もある可きに然るに事、茲に出でずして公然反對の運動を試み恰も今の民黨が政府に對するの所爲を學ぶは甚だ穩かならぬ擧動なりとて其説は兔も角もとして擧動に就て疑を抱く者も少なからず或は裡面の内情にまでも立入りて云々の關係あり斯く斯くの事情ありとて之を怪しむものさへなきに非ざれども我輩の所見を以てすれば此事たる疑ふに足らず又怪しむに足らず政府の官吏が何かの事情にて職を去るときは忽ち反對の情を現はすこと明治社會の常態にして其事例も乏しからず獨り文部の舊官吏のみ然るに非ず今回の事は特に或る部分の局所に發したるを以て適ま世間の怪訝を招きたるに過ぎざるのみ抑も今の官吏は何れも封建士族の遺流にして忠君愛國、國家の爲めに一身を捧ぐるの拐~は遺傳ヘ育の然らしむる所、今日に至るも依然として變ずることなし屬官雇の類に至るまでも皆この拐~にして小官の卑しきに居ながら自から國家の重きに任じ孜々勉強して職と共に倒れんと誓ひたるものが一旦何かのキ合に由りて非免の沙汰に遇ふときは平生正直の心よりして自から他の無情を憤ふるの情なきを得ず殊に家計の事に無頓着なるは士族流の常にして官途に在りて俸給の豐なる日に於てさへ尚ほ時としては債鬼門を窺ふの厄を免れざるに突然支給の道を絶たるゝときは忽ち眼前の生活に迷ふことなれども正直一偏の外に他の藝能とてはなき其上に氣位のみは頗る高くして容易に人に屈せざるが故にますます身を處するの路に窮してますます不平に堪へず左ればとて尋常一樣の人事に當らんとすれば本來無藝無能にして唯その身に適するは官途の一方あるのみ是に於てか滿腹の不平は發して政府に向はざるを得ず誠に窮屈なる次第なり從來世間に政府反對の思想少なからざれども唯漠然たる民權云々の空論なりしに近來その論に供するに種々の材料を以てして空論をして實論に近からしめ以て政府の弱點を衝て當局者に苦痛を感せしむるに至りしものは免職官吏窮餘の運動興りて大に力なきに非ず世に明白なる事實にして今回ヘ育社會の擧動の如き畢竟その一例たるに過ぎず今更ら怪しむに足らざるのみか寧ろ尋常一樣の事相にこそあれば我輩は特に其人に就て云々するを欲せざるものなり就て思ふに政府にては今回行政整理の爲め大改革を行ふよし官吏の非免沙汰も必ず多きことならん亦是れ一難を加ふるものにして今後の多事思ひ知る可し自から止むを得ざる次第にはあれども社會の治安の爲めには甚だ妙ならず其始末に就ては經世家の一考を要する所なる可し