「運動者の方針」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「運動者の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

運動者の方針

有志者の運動と云ふことは近來の流行にして或は學校病院の設置を可否するあり或は烟突の存在を咎むるあり公平に傍より眺むれば往々その意を解せざることも少なからざれども人々銘々の所在は敢て一樣に制す可きにあらず唯我輩の餘處ながら心配する所は其運動の報酬如何に在るのみ運動元來無代價に非ず事抦によりては演説もし集會もし勸告もし請願もして中には永き日月に亘り容易に落着せざることさへありて啻に勞力と時間とを要するのみならず金を費すことも亦案外なるに斯る勞費を辭せずして而して其結果は何の益する所ありしやと云へば茫々漠々恰も一場の夢にして殆んど見るに足るもの少なきのみか彼の府下芝區に於ける傳染病研究所を排斥したるが如きは寧ろ爲めに區内の繁昌を失ひ區民の營業上より云へば恰も手中の玉を棄たると一般にして酒興の散財にも如かざる樣の次第なれば我輩は敢て有志者に向て一切運動する勿れとは云はず何か利益ある事に付て充分の奔走盡力あらんことを勸告する者なり例へば頃日各地に於て種々の取引所を設立せんとするが如き又は鐡道の線路を我地方に引致せんとするが如き自から公私の利益に關して運動の理由も亦分明なれば當事者の注意勉強甚だ以て可なれども斯る有志運動流行の時代にも似ず彼の鐡道沿道地方の人々が文明の利器を擁しながら之を利用するの策を講せずして唯鐡道廰又は鐡道會社の爲す所に任せ不利不便と知りつゝ漫然看過するとは何事なるや既得の寶を空ふする者と云ふ可し此程より毎度本紙に述べたる如く京濱鐡道の繁昌を以てして日々發車の度數は僅に毎一時間一回の割合なりと云へば其以下に位する各地官私の鐡道が如何に不活〓なるやは推して知る可し公衆の不便利千言萬語も盡す可らざる中にも各停車塲の近傍にて其地價當さに騰貴す可くして騰貴せず居民の營業當さに繁昌す可くして繁昌せず恰も寶の山に居て寶を見遁しにするが如き元はと云へば當業者が執務を緩慢にして専有の權を恣にするが故に外ならず例へば京濱館の鐡道にても其發車の度數を毎十分間にもせんか、品川は申すに及ばず大森にても川崎にても鶴見にても乗客荷物の增加は勿論、東京横濱より移住居の人を促して淋しき田舎も中人以上の居を定むると同時に面目を改め萬般の營業次第に繁昌するに隨て人口も增加し地價も騰貴し麥田變じて邸地町地面たる可きは又疑を容れず是れぞ眞實地方の利益にして日本國中各停車塲の近傍にては熱心に議論す可き筈なるに彼の有志者なるものが未だ曾て之が爲めに一言を試みたることなしとは我輩の不審に堪へざる所なり西洋諸國にては鐡道の利を見るに二樣の點あり一は鐡道會社が運搬の働を以て直接に賃錢の收入を利するものと他の一方には直に鐡道の營業には關係せざれども其運輸交通の利便の爲めに沿道の繁昌を致す其繁昌の餘澤に浴して間接に利益を得るものと二者相密接して相離れず而して其間接の利益は恰も偶然の僥倖に似たれども潤澤の廣くして大なるは直接の利に優ること萬々なりと云ふ日本國人の未だ思ひ到らざる所なる可し空論に走る者は實利の所在を知らず我輩は唯地方有志者の民利に冷淡なるを驚くのみ