「華族の地位」
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時事新報に掲載された「華族の地位」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人間の權利を同一視する所謂自由平等の理論より見るときは社會に人爲の階級を造りて貴
族と云ひ平民と云ひ以て貴賤の區別を爲すが如き誠に無uの談にして一笑に付す可きなれ
ども廣く社會人事の有樣に注意して其微妙なる點を觀察すれば貴族の制度の如き一概に輕
視す可らざるのみか却て之を維持して其榮譽を保たしむるの必要を見る可し彼の維新の功
勞云々の廉を以て先年中俄に取立てられたる明治の新華族の如きは實際に無uにして徒に
社會羨望の府たるに過ぎず我輩の甚だ感服せざる所にして寧ろ其廢止を希望することなれ
ども數百年來の習慣に於て自から一種光榮の地位を占め社會の上流に位して優に貴族たる
の體面を維持する今の大名華族の流に至りては社會の譽れ國の光りとして永く今日の地位
を保存せしむるの必要を認むるものなり抑も國に是種の種族を存するときは喩へば喬木の
多きを見て故國を知り殿堂伽藍の宏大なるを見て佛コの著しきを知るが如く言はずして人
の感情を惹くのみならず外國に對して國光を輝かすの効能も少なからざる可し試に其次第
を語らんに第一帝室は社會榮譽の泉源として天下萬民の等しく仰ぐ所なれども天下の萬民
皆悉く賢き邊りに近づき奉る可きに非ざれば親しく其邊りに奉仕して平昔恩光を拜し奉る
ものは自から特別の地位に在る人ならざるを得ず華族は即ち其榮譽の地位を占むるものに
して所謂帝室の藩屏たるものなり第二日本の美術は封建三百年の間に發達したるものにし
て封建の破壞と共に近來は大に衰微したり今後これを奬勵保護するの方法は如何と云ふに
資力に豐にして且この道の好尚に乏しからざる上流社會の力に依ョするの外なかる可し今
の社會に金滿家の流は少なからざれども多くは俗に云ふ俄分限の輩にして只錢の貴きを知
るのみ美術上の好尚など容易に望む可きに非ず然るに華族は封建大名の家にして從來美術
の縁淺からず今日に至りても是種の好尚に遊ぶの餘裕あることなれば其奬勵保護に力を與
ふるや大なりと云はざるを得ず第三外國との往來交通頻繁なるに際し彼國の貴族又は上流
社會の人々と對等に交際して相讓らざるは國光を發揚するの一端なる可し日本國中に其人
を求むれば即ち華族の一流にして現に彼の國に到り其交際社會に交り又は彼貴族等の來遊
に際し相應の禮を盡して之に接するが如き華族の名聲と其資力とを以てして始めて能く不
体裁不行屆を免かる可し外人との交際上に國の品位を高むるの效能少なからざるを知る可
し第四社會の進歩に隨ひ人情次第に枯燥して營利一偏に傾き亦他人の貧苦を顧みるものな
きに至るは自然の成行として免れざる其中に華族社會は自から別天地にして情雲慈雨時に
下界を霑し慈善の事に金を投じて無告の貧人を恤むが如き以て社會の空氣を温めて人情を
和するに足る可し凡そ是種の事を計ふれば一にして足らず何れも微妙の邊に微妙の效を見
るものなれども之を要するに我輩は社會の譽れ國の光りとして華族の地位を維持するの必
要を認むるものなり然りと雖も華族の華族たるは其族稱の美なるのみに非ず一種高尚の品
格を保ちて自から社會の上流に位するが爲めに外ならず而して其今日あるは租宗三百年來
の餘澤として身代の豐なるに由ることなれば今後この地位を保たんとするには永久に其身
代を維持するの工風こそ大切なれ此點に就ては其筋の注意も一方ならず現に世襲財産法の
規定もありて保護の道、等閑なるに非ざれども今の多事複雜の世の中に處して財産の安全
を得んとするには單に他の保護に依ョして安心す可きに非ざれば自から時に應ずるの工風
なきを得ず若しも然らずして萬一にも財産の安全を欠くときは啻に其地位を保つこと能は
ざるのみならず或は社會の厄介物として輕蔑さるゝに至ることなしとも云ふ可らず華族の
身代を維持するの工風惣にす可らざるなり