「新舊華族の別」
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時事新報に掲載された「新舊華族の別」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我輩は前號に於て華族保存の事を論ずるに當り大名華族の地位は社會の榮譽として之を維
持するの必要あれども彼の明治の新華族の如きは寧ろ廢止を希望する旨を一言したり聊か
其次第を述べんに學者の眼より見るときは人爲の族制の如き誠に小兒の戯にして其舊新に
論なく一切無用ならざるを得ず社會の人間は悉く平等一樣にして差支なきことなれども凡
俗社會の人情は自から別にして所謂盲目千人二千人の譬に洩れず醉生夢死の國に彷徨して
處世の方向に〓ふ其有樣は蛆蟲の〓〓して互に〓〓ふものに異ならず實に憐れむ可き次第
にして若しも〓〓に一任し去り自から其方向を示す〓方便な〓に〓は如何なる不始末を〓
むるやも知る可〓〓〓へば書斎の裡に幾多の紙片を散布するが如し〓〓の微風これに〓〓
れば片々飛び去りて如何ともす〓〓〓〓〓一個の〓〓を〓りて之を一偶に置くときは一の
紙端は他の紙端を抑へ片々相接して自から秩序を保つ可し人情社會亦自から文鎭の必要を
見る可し即ち華族の地位を保存するの必要なる所以にして凡俗社會の人情滔々として更に
歸着する所なき其中に自から一種高尚の地位を保ちて社會の表面に立つものなれば自から
人心の方向を示して微妙の間に其混亂を鎭ずるの效ある可し而して之が爲めに特に華族の
地位を必要なりとするに至りては自から理由なきに非ず例へば彼の蟻の生活を見るに蟻群
の中自から之を率ゆるの首領あり動物學者は之を名けて蟻の王と呼べり又鮭魚の隊を成し
て河を遡るにも自から之を導くの將帥ありと云へり而して蟻王なり鮭將なり他の同群のも
のに比すれば其形頗る大にして自から爭ふ可らざるの資格を備ふるものゝよしなれども
吾々人間に至りては然らず體格は大同小異にして殊に抽んでたるものあるに非ず又智コの
點に於ても自から優劣なきに非ざれども社會萬衆の上に立て之を信服せしむる程のものは
容易に求む可らず然るに大名華族の家には一種特別のものありと云ふは外ならず其家の古
くして自から榮譽を備ふるの一事なり凡そ此一事は何人と雖も爭ふこと能はざるものにし
て或は富を以て云はんか自から富豪金滿家の人に乏しからずと雖も唯家の新古、租先の由
緒を比較するときは迚も華族には及ぶ可らず或は學問を以てするも智コを以てするも華族
の右に出る者多きのみならず殆んど比較の限りに非ざれども學問智コの點は廣き世間に難
兄難弟の事情ありて輕重を决し難きに反し華族の家ネは特色を備へて一目瞭然これに對し
て爭ふ可らず即ち其身分の重きを成して凡俗の人心を導き其方向を示すに適當するものに
して其地位を維持するの必要は只その古き家ネの一點に存するのみ然るに新華族の家は如
何と云ふに所謂維新の功勞を以て其地位を得たるものに過ぎず維新の功勞决して小ならず
政治上には自から爭ふ可らざるの事實あり隨て勢力もありと雖も政治は元是れ人事の一部
分のみ一部分の功名は以て全社會を照らすに足らず學者の社會より見るときは武勲の大元
者も小兒に異ならず金滿家の社會に於ては文功の經濟家も素寒貧の一書生のみ若しも功勞
の點より見れば社會自から其人に乏しからず政治上の功名の如き毫も誇るに足らざるのみ
か或は大に之を爭はんとするものもあることなれば維新の功勞を以て得たる新華族の地位
に至りては彼の大名華族の如く何人と雖も爭ふ可らざる一種の資格を備へず之を備へざる
が故に社會に對して重からず、重からざるが故に之を維持するの必要を見ざるものなり或
は今後百年の後には舊華族の家とても亦保存の必要なきに至ることならん唯今日の凡俗社
會に智愚明盲を比較して愚盲の多數なる限りは蟻群の三鮭〓の將として之を保存し之を利
用するの必要あることなれども新華族に至りては毫も其必要を見ず我輩が舊新を區別して
存廢の説を異にする所以なり