「朝鮮政府の防穀令」
このページについて
時事新報に掲載された「朝鮮政府の防穀令」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮よりの飛報に據れば同國政府は今年全羅慶尚兩道の農作凶歉なるの故を以て來十一月
十九日より以後元山仁川釜山の三港に於て米穀輸出禁止の旨を布告したりと云ふ目下朝鮮
國の開港塲と云へば即ち右三港の他にあらざるを以て今回の防穀令は取りも直さず一切米
穀の輸出を禁ずるものにして同國の貿易上に容易ならざる影響を及ぼすは申すまでもなき
ことなり就ては彼の地在留の我商人が朝鮮政府の處置を不當なりとして公使舘に申出で該
布告取消の談判を開かんことを求る者あるよし直接に商賣上の利害に關することなれば無
理もなき次第なれども我政府が愈よ商人等の言を容れて愈よ談判に着手するとならば前以
て能く實際の事情を取調べ必ず輕卒の擧動なからんこと我輩の呉々も勸告する所なり日韓
貿易規則第三十七條に曰く
若シ朝鮮國水旱或ハ兵擾等ノ事故アリ境内ケツ(缶+欠)食ヲ致スヲ恐レ朝鮮政府暫ク
米
糧ノ輸出ヲ禁ゼント欲セバ須ク其期ニ先タツ一ケ月前ニ於テ地方官ヨリ日本領事官ニ照
知スベシ然ルトキハ豫メ其期ヲ在各港ノ日本商民ニ轉示シ一體遵守セシム可シ云々
右の文意は甚だ明瞭にして誤る可らず即ち朝鮮政府は洪水旱魃若しくは兵亂の爲めに人民
の食量に不足を告るの恐あるときは三十日前に日本領事に通知して米穀の輸出を禁ずるを
得可しとの趣旨に外ならず然るに今回の防穀令は發布の時より三十日後に實施せらるゝも
のにして既に正當の手順を經て我領事舘に通知もありたりと云へば日限の點に於ては更に
非難す可き廉なく目下の問題は唯朝鮮國の農作が果して米穀輸出を禁ずるの必要ある程の
災害を被りしや否やの一事なり我輩の聞く所に據れば本月中旬我關西地方を吹荒したる暴
風雨は支那朝鮮の内地をも通過して少なからざる損害を生じたるの徴ありと云へば或は其
爲めに朝鮮國の農作を害せられて遂に此發令の必要を見るに至りしものなるやも知る可ら
ず兎に角に大鳥公使は各所の領事に其邊の事情探索を命じて取調中なりと云へば日ならず
して詳細の状况も判然することならん其状况の分るまでは我輩は朝鮮政府の處置に就て彼
れ是れ批判することを欲せざるものなり思ふに數年來日韓両國の間に交渉の大問題と爲り
て本年こそ漸く結局を告げたる彼の元山防穀事件の如き我要求の正當なりしは固より疑な
しと雖も是れが爲めに朝鮮國官民の感情を傷け彼れ等の敵意を買ふて外交上又た商賣上、
日本の爲めに非常の損害を釀したるは事實に爭ふ可らず苟も彼の國の事情に通ずる者は皆
これを認めこれを憂へざるはなし然るに今日又もや一片の防穀令發布を見て事實をも糺さ
ず容易に談判を開て扨て後日に至り萬々一にも我要求の穩當ならざりしを發見することも
あらんには之を如何す可きや進むに進み難く退くも亦體裁の美なるものに非ず遂には不本
意ながらも多少の無理を犯して最初の申込を押通す樣の塲合なきを期す可らず世界古今の
國交際に隨分あり得べきことなれども左りとは日韓の交際に無上の不幸にして又實際に永
遠の不利と云ふ可し我輩は决して強硬の政略を忌む者に非ず我れに正理ある以上は或は兵
力に訴へて彼れを服從せしむるも敢て憚る所に非ずと雖も苟も朝鮮政府の爲したることに
して日本に不利なるものとあれば一も二もなく條約違犯なりと稱し碌々事實をも取調べず
して始めより喧嘩仕掛の談判を試んとするが如きは外交策の熱度高きに過るものにして我
輩の同意すること能はざる所なり