「男兒志を成す難きに非ず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「男兒志を成す難きに非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

男兒志を成す難きに非ず

今の青年輩が學問修業に從事する其目的は如何と云ふに或は政治家たらんとするものもあらん或は實業家たらんとするものもあらん何れも前途の望を抱いて勉強刻苦することなれども扨卒業の後、社會に身を処するに及んでは百事非にして意の如くならず滿腔の不平自から辨せずして壯士の仲間に入るものあり失望落膽の餘りに遊冶郎に堕落するものあり當初の目的を達するもの甚だ稀れなるは何ぞや唯其志の漫に大にして自他の事情これに伴はざるが爲めのみ志の大なるは男子の事にして決して咎む可きに非ず小成に安んずる小丈夫の如きは我輩の與せざる所なれども人間の智能才力には自から優劣あるのみならず人々の境遇、社會の情勢も時と塲合に由りて異なることなれば漫に大なるを望むも決して得べきに非ず今日の社會に政治家と爲りて政府の大臣たらんとし實業家と爲りて三菱三井たらんとするが如きは到底實にす可らざるの空想なりと知る可し抑も人の此世に處して一身を立てんとするは喩ば書生の遠足の如し遠近の山川景勝自から適當の塲所に乏しからざることなれども其塲所を定むるに先ち第一に考ふ可きは時間と足の力とにして東京より二日の時間なれば鎌倉江ノ嶋行も可なり一日間なれば鴻ノ臺玉川など適當なれども是れとても人々の足力如何に由りて大に相違あることなれば先づ時間の長短と銘々の足力の強弱とを測量して塲所の遠近を定むること肝要なり若しも然らずして漫然發足するときは其目的を達せずして俗に云ふ足勞儲の愚を見るに至る可し盖し人間の心は甚だ薄弱なるものにして身躬から其力を量ること能はず凡庸の愚物にてありながら自から一世の豪傑たるを信ずるものもなきに非ざれども苟も文明の學問を修めて普通の智識を備へ幾分か社會の事情にも通ずるものならんには自家の才力境遇と一般の情勢とを測量して凡そ此邊ならば一身の力にて達し得べしとの目的を定むるに難きことはある可らず一旦目的を定めたらば既に得たる地歩は固く蹈み占めて誓て一歩も退かず着々その方向に進み幸に志を達することを得ば更に其上の目的を定めて飽までも進む可し或は案外の邊に達することもあらんなれども今の後進輩の多數を見るに其目的は最初より甚だ大にして之に進むの術は甚だ疎なり初めて社會に出身して初歩の地位を授けられ少しく意に滿たざることあるときは忽ち不平を鳴らして曰く吾は未來の大臣なり未來の金滿家なり斯る卑賤の塲所は久戀長居の地に非ず云々とて自から現在の地位を輕蔑して事に熱心ならざるが故に自身にも不愉快なれば他人も亦信用を置かずますます意の如くならずしてますます不平に堪へず遠大の志を抱きながら自から輕んじて一身を堕落せしめ果ては世の中の厄介ものと爲りて空しく爲すことなきに終るもの多し何ぞ其志の大にして其行の小なるや其輩の常に欽慕して漫に之を學ばんとする古來の英雄豪傑を見るに其大事業は初めより大を期して大を得たるものに非ず例へば豊太閤の如き所謂人奴より起りて人臣の榮を極めたるものなれども其初め織田信長に仕へて木下藤吉郎たりし時に於ては日本全國を掌握して威名を海外に轟かすの太閤秀吉たることは必ず自から期せざりしことならん即ち丹羽柴田の驥尾に付して織田幕下の一雄將たるを榮譽とし自から羽柴の姓を名乗りたるを見ても英雄の初志甚だ大ならざりしを知るに足る可し然るに今の青年輩は未だ藤吉郎たらざるに早く既に天下の大に志して一躍太閤の地位を望むものなりと云ふ非望の甚だしきものと云はざるを得ず人間の地位は境遇に由りて次第に進むものなり木下藤吉郎たるを得ば羽柴筑前守を望むも可なり幸に羽柴の地位に達するを得て若しも其上の好機會もあらば更に大を望むも又或は可ならんなれども未だ藤吉郎たらずして太閤を望むは斷じて不可なり青年の諸氏敢て志の成らざるを憂ふる勿れ自家の力量と社會の情勢とを考察して適當の邊に目的を定め着々歩を進めて一歩も退くこと勿れ其目的を達するは必ず保證す可きのみならず其人の技倆境遇の如何に由りては或は案外の邊に達することも亦望なきに非ず自から力を量らずして初めより大に志し不平失望の餘りに一身を堕落せしめて世人の笑を招くこと勿れ