「製鋼業と技師」
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時事新報に掲載された「製鋼業と技師」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
製鋼業と技師
今や政府には製鋼業調査委員會の設けあり民間には製鋼株式會社の計畫あり議論紛紛として其聲も亦甚だ高〓が如し我輩は既往種種の經驗に照し又事業の性質を吟味して容易に之に賛同する能はざるものあるが故に此程「利子〓〓問題」と題したる中にも專ら用心を嚴にして所謂〓〓保〓の可なるを述べ且つ大製鋼所に對して大失策を取らんよりは小製鋼所に就て小成功を積み〓〓漸次他日の發達進歩を期するに如かずと論じたりしが假りに我輩の説行はれずしてイヨイヨ一大製鋼所の成立を見ることありとせん歟爰に最も注意す可きは技師の事なり原料の事將た販路の事等は世上區區の説〓〓て〓じからずと雖も兎も角も多少の研究を費した〓〓とならんに獨り技師の腕前如何に至りては爲めに事業の〓〓にも損得にも大關係を有するに拘はらず割合に懸念の薄きが如きは知らず果して充分の信憑を托するに足る者あるが故かと云ふに製鋼論者の自白にも本邦に始めての事業なれば五六年間は技術者の修練に仇なる時日を消過す可し云云とて甚だ漠然たるが如し聞く目下我國にて製鋼の技術に任ずる者は僅僅十餘人もあらん中に實際に於て稍稍信憑す可きは二三名に過ぎずして其他學者もあり鍛工も少なからずと雖も或は學問に深くして技術に淺く或は一方に偏して他を知らざる等殆んど倚るに足らずと云ふも不可なきよし然りと雖も今日此際學者技術者に問ふに製鋼業の難易を以てせば必ずや技術上に於ては最早大丈夫の世の中なりと答ふることならん苟も冶金の心得ある者は皆かくこそ云ふ可けれども西洋諸國にてすら眞に製鋼の技術者と稱す可き人物は容易に得べからざる程の次第にして日本にても從來此種の製造に就き吾こそ其技術者なれとて屡屡舶來品摸造を試みて屡屡失敗を重ね遂に無用の徒勞に歸したるは先例實に珍からず今度の計畫に就ては申す迄もなく技術者の撰擇に粗漏のことあるまじとは思へども萬一も其注意深からずして所謂五六年の修練期限も空しく過ぎ豫期の効果を見ること能はずんば規模は大なり其始末の困難、實に想見る可し獨り民設の會社のみならず假令ひ政府にて施設するも一時に規模を大にして速効を期するは策の得たるものに非ず或は技術は略手に入りて誤らずとするも當業者の巧拙に從て製造費に差等あるを免れず現に今日に屈指せらるる二三の製鋼者にも同一の鋼鐵にして英百斤に付き十圓にて製するあり八圓にて製するあり或は五圓五十錢にて足るものもありと云ふ五圓と十圓とは驚く可き相違にして啻に損得に止まらず延いて事業の成敗存亡にも關することなれば詳に此邊の調査を遂げ一意專心技術者の技術を奬勵して鐵はますます精良に價はますます低廉ならんことを勉め自然に事業の發達を俟つこそ國家の〓に採る可き正當の方針なれと我輩の竊に信ずる所なり元來我國人は製鋼術に於ても决して西洋人に劣る可しとは思はれず維新以前帶刀の時代に在ては帝室を始め刀を以て武門武士の魂となし之を尊重すること深かりしが故に刀劍の鍛冶は百千年來日本唯一の技術にして之が爲めに精神を勞し資力を費し國中刀劍の外に寶物なく鍛冶の外に工藝なき程の有樣にして其鍛ひ得たる寶劍は白虹を吐き赤電を飛ばして世界に其比を見ず今の砲丸銃身其他の如き固より鍛刀の法を以て一概に〓す可らずと雖も其〓を研究玩味する趣は即ち相互に似たるもの多し若しも之を奬勵すること昔し曾て刀を尊重したるが如くせば我國人固有の物性を鍛錬して〓には近時西洋諸國に有名なる製鋼法の〓奧に達し出藍の名聲を博するも必ずしも望なきにあらず扨〓〓之を成す如何せば可ならん歟大製鋼所に對して大奬勵(利益〓〓の如き)を試み以て成敗を一〓に賭せんか〓〓〓數〓〓の法によりて小製鋼所にも偏頗なく特典を及ぼし互に相競はしめて以て自然の進歩を期せんか我輩は既往の事實に照らして將來を〓〓〓數保護の法を賛成するものなり