「東京商品取引所」
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時事新報に掲載された「東京商品取引所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京商品取引所
の設立を請願する者に二樣の黨派を生じたり一は砂糖木綿、綿絲、綿花、油、鹽、肥料、金屬、雜穀、の九種を以て取引商品となし右各品問屋の一類が團結したるものにして之を實業派と稱し他の一方は綿花、油、鹽、の三種にして其重なる發起者中には平素實地に是等の商賣に關係なき人も多きよりして之を紳士派と名くるよし扨この兩派の請願書中に双方とも綿花油鹽の三品あるが爲めに恰も衝突競爭の姿を成し孰れとも决し難しとて農商務省にては一先づ双方の願書を却下したる其理由は取引所法第二條に同一の土地に同一の物件を賣買する取引所二箇所以上を設立するを得ずとの明文に據るものなりとのことなれども法律は唯二箇所以上の設立を許さざるの規定を設けたるまでにして二樣以上の出願相成らずと禁じたるに非ず又實際に禁す可きにも非ざれば政府にては百の出願あるも一應これを受理して其出願者中孰れか最も能く設立に堪ゆ可きやを取調べ其資格の最も完全に近きものを撰んで許可するの外ある可らず即是れ行政の特權内に屬する所のものなり
或は云ふ政府は今度の出願者に内諭して双方合同を計るべしと勸めたるよしなれども内諭は内諭にして命令にあらざれば何分にも服し難しと云へば夫れまでのことにして結局の効力ある可きものに非ず目下竊に双方の事情を察するに調和合同は頗る困難にして結局その相互に齟齬する所は虚實の二點に在るものの如し所謂實業派は從前の商家問屋の一類を集めて從前の商賣を其まま持續しながら新報に從て取引所を設立し以て實際の便利を得んとするものなれば其間に無實の虚を交ゆ可らず彼の紳士流の如き其社會に於ける勢力の如何に拘はらず實際實物の商賣取引に關係したる人は甚だ少し或は今回出願者の姓名の中に現品の商人あるも商賣社會に於て重きを成すに足らず結局紳士派は取引所に虚を弄して樂まんとする者なれば此種の人と進退を共にするを得ずとて决然動く氣色なきに反し紳士派は謂らく取引所は日新の新事業なり新事業は新思想の人にして始めて成る可し從前の町人輩に一任す可き事■(てへん+「丙」)に非ず商賣の虚實の如き無益の談なり况んや紳士派中實業の商人乏しからざるに於てをやとて是亦自家の説を主張して屈せざるものの如し之を要するに曩きに政府の筋にて試みたる調和合同策は到底行はれざるものとして斷念するの外なかる可し
右の如く虚實の爭は到底止む可きに非ず紳士派なればとて必ずしも虚のみに非ず其虚中多少の實ある可し又實業派の中にも自から虚なきを保す可らず古今の商賣社會に絶對的の有實無虚を求めんとするも到底叶はざることなれば是れは無益の談なりとして扨取引所の本來に於て果して虚を避けて實を重んずるの要用あらば今日紳士派と實業派と兩兩相對して孰れか實に近くして虚に遠きやと先づ之を吟味し假令ひ絶對に非ざるも其虚實の遠近を測量し之を標凖にして區別するの外なかる可し且その事たるや决して困難なるにもあらず尋常一樣の身元調べを行ひ本人平素の營業、取引の大小、資産の厚薄、信用の輕重等を吟味して容易に分明なる可ければ虚實の標凖を定むるに差したる心配はなかる可し左れば農商務省に於ては一度び合同策を試みたれども意の如くならずとあれば最早や徳義上の責は免かれたり此上は行政上の本領に立戻り一切の情實を問はずして出願者の身元を取調べ勉めて虚を擯けて實を重んじ取引所の設立に最も適當したる者を撰んで斷して之を許可し新取引所をして假令ひ實物の取引のみに止まるを得ざるも純然たる空相塲の府たらしめざること冀望に堪へず今日の如く區區の情實の爲めに双方の願意を取るが如く取らざるが如くして既發の法律を空ふし以て商賣社會の機關を澁滯せしむるが如きは啻に商人の不幸のみならず我輩は行政政府の威嚴の爲めに謀りても竊に赤面する所のものなり