「海軍將校の技倆如何」
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時事新報に掲載された「海軍將校の技倆如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
海軍將校の技倆如何
我輩は屡ば海軍の將校をして學術に精通し實地に熟練せしむるの必要を説き我將校の力量にして先進海軍國の將校と匹敵するに非ざれば假令ひ幾多の堅牢なる軍艦あるも一旦有事の塲合に至りて實用を爲さざる可しとの次第を論じたりき尚ほ其論旨を明了ならしめんが爲めに左に日本將校と外國將校との進級經歴を對照して我將校の學術經驗は彼將校と比較して果して如何なる程度に在るかの事實を讀者に示す可し
日本、英、佛、米、海軍將校進級對照表
對照に便ならん爲め西暦を日本暦に改算したり(各國軍人録より抄出)
中將
最先任の中將 年齡 中將 少將 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日本 中牟田 倉之助 五六 明治十一 明治四 明治四
英 リチヤード 六〇 明治廿一 明治十五 慶應二 萬延元 安政二 安政元 嘉永元
佛 デユペレ 六一 明治十四 明治十一 明治二 慶應二 安政六 安政元 嘉永二
米 中將欠員
最後任の中將 年齡 中將 少將 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 井上良馨 四七 明治廿五 明治十九 明治十五 明治五
英 ジオウンス 五七 明治廿五 明治二十 明治三 文久元 安政四 安政二 嘉永二
佛 ベスナール 六〇 明治廿五 明治十九 明治十三 明治六 文久元 安政二 嘉永五
米 中將欠員
少將
最先任の少將 年齡 少將 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 相浦紀道 五二 明治十八 明治十四 明治四
英 〓ーサンケツト 五八 明治二十 明治三 文久三 安政二 安政元 嘉永元
佛 プレムスネル 五六 明治十九 明治十二 明治三 萬延元 安政元 嘉永五
米 ゲラルデー 六三 明治二十 明治七 慶應二 安政二 嘉永五 弘化三
最後任の少將 年齡 少將 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 坪井航三 五〇 明治廿三 明治十八 明治七
英 カーデール 五二 明治廿五 明治十一 明治元 文久元 萬延元 安政元
佛 メー〓ンナーヴ 五四 明治廿五 明治十七 明治十 文久三 安政六 安政二
米 グリーヤ 六〇 明治廿五 明治九 慶應二 安政二 安政元 嘉永元
大佐
最先任の大佐 年齡 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 柴山矢八 四三 明治十八 明治十二 明治八
英 チヤルチ 五一 明治十一 明治元 文久元 文久元 安政元
佛 ル タラルク 五八 明治十四 明治十 文久三 文久元 安政四
米 カーペンタ 五一 明治十三 明治二 安政五 安政三 嘉永三
最後任の大佐 年齡 大佐 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 瓜生外吉 三六 明治廿四 明治廿 明治十五
英 オーキアラハン 四三 明治廿四 明治十七 明治七 明治四 元治元
佛 フイヱロン 五一 明治廿五 明治十八 明治二 元治元 文久元
米 バートレツト 五〇 明治廿五 明治十 元治元 文久三 安政六
少佐
最先任の少佐 年齡 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 柏原長繁 四一 明治十九 明治十三 明治五
英 アンソン 四七 明治四 慶應元 慶應元 萬延元
佛 ビヤンヴニユー 五九 明治十一 文久二 安政二 嘉永五
米 バチラー 五一 明治十 元治元 文久二 安政六
最後任の少佐 年齡 少佐 大尉 少尉 少尉補
日 井上敏夫 三五 明治廿五 明治十九 明治十四 明治十一
英 ホーナ 三五 明治廿五 明治十三 明治十一 明治四
佛 ヴイヴイヱール 四六 明治廿五 明治十二 明治四 明治二
米 キングスレー 四八 明治廿五 明治二 慶應二 文久二
大尉
最先任の大尉 年齡 大尉 少尉 少尉補
日 兒玉〓孝 四一 明治十五 明治七
英 パルク 四四 明治四 明治元 文久二
佛 シーモン 四七 明治八 明治元 慶應二
米 イム〓ー 四八 明治十五 慶應二 文久二
最後任の大尉 年齡 大尉 少尉 少尉補
日 鈴木貫太郎 二五 明治廿五 明治廿二 明治二十
英 コリンス 二四 明治廿五 明治廿二 明治十八
佛 ルルー 二九 明治廿五 明治十九 明治十七
米 モーガン 三三 明治廿五 明治十六 明治九
彼國將校の進級は概して遲緩にして且一階級に留まるの年限も永く加ふるに遠洋航海外國派遣等、海上に勤務すること多きが故に實地の錬磨に充分の機會を得ることなれども之に反して我海軍にては遠洋航海外國派遣等の事、甚だ稀れにして殊に軍艦に比例して將校の數、多きに過ぐるを以て勢、海上の勤務を■(にすい+「咸」)ぜざるを得ず聞く所に據れば目下陸上に勤務するもの六分、海上に勤務するもの四分の割合なりと云ふ是れ我海軍は所謂武官組織の制なるが故に陸上の吏務に從事するの將校多數なるが爲めにして實地の錬磨は隨て不充分なる其上に海軍部内に於ける一種の都合に由り其進級頗る速なるの事情もありて錬磨の機會はますます乏しからざるを得ず又海軍大學校の如き學術研究の設はなきに非ざれども毎年卒業するものは僅に十七八名にして然かも卒業の後、直に實地に就くの仕組とてはなく或は陸務に從事せしめ或は待命を命ずることさへありと云ふ斯くの如くにして空しく經過し去るときは何れの時を期して先進諸國の將校に匹敵するの技倆を備ふることを得べきや我輩の覺束なく思ふ所なり彼の第四議會に於て通過したる巨大なる甲鐵艦の如き五六年の後には竣工することなれば其乘組に適當する技倆の將校なかる可らず一朝一夕にして其人を得るは固より難事なれども我國の如き後進の海軍に於ては特別に技倆養成の方法を講究して成る可く速に各國普通の熟練程度に達せしむることを勉めざる可らず當局者にして若しも此點に注意せざるときは假令ひ其希望の如く十二萬噸乃至十五萬噸の軍艦を備ふるも實際には用を爲さずして只虚飾を張るが爲めに國庫の金を徒費するの結果に歸せんのみ
右の對照表に據るときは我國の將官佐官は生徒、少尉補等の如き下級の順序を經歴して昇進したるもの甚だ稀れなるを見る可し盖し海軍草創の際に當り舊各藩の海軍に從事したるもの若しくは維新の戰爭に從ひたる武人を採用して直に佐官又は尉官に任じたることなれば恰も飛入りの士官にして其素養に乏しきは固より咎む可きに非ず當時に於ては一時止むを得ざるの事情に出でたる次第なれども海軍整理の今日に際しては自から革新の工風なきを得ず又學術經驗の淺き割合に進級の速なしりは他の各省官吏の進級と比較して釣合を得せしめたるの事情もあらんなれども本來海軍の職務は一種特別にして一般の官吏は勿論、陸軍の將校に比するも全く性質を異にするものなれば今日に至りては其邊の舊慣をも改めざる可らず護國の干城たる海軍をして世界の諸國と對等の力を備へしめんとするには將校の養成法を改革すること目下の急務なる可し
抑も我輩が右の對照表を記すの勞を取りたる所以のものは一つには前述の如く當局者の參考に供し一つには一般公衆の注意を促さんとするの微意に外ならず元來我國人は未だ海軍の事に慣れずして其事情を詳にするもの少なきが故に單に多數の軍艦をさえ備ふれば海國の防禦は安心なりと思ふものもなきに非ざる可しと雖も今後我海軍がいよいよ實用を爲すの塲合は彼の維新のとき幕府の脱兵征討の爲め箱館の近海に於て演じたる兒戲に近き海軍の類に非ず我海上の敵たるものは海戰の經歴に數百年の實驗を經て然かも其將校は少年の時より身を海軍に投じて世界の海洋を跋渉し學術に實地に精通熟達して巨大の堅艦を縱横無盡に運轉し得る老練の強敵なることを忘る可らず若しも一旦斯くの如き強敵に對することもあらば假令ひ我に同勢力の運艦幾十隻ありと雖も我將校の力量にして彼に匹敵せざるときは如何なる不覺を取るやも知る可らず我輩は緒海軍國海戰の歴史に徴して將校の技倆不熟練なるが爲めに敗を取りたるの例證を擧ぐるに躊躇せざるものなり彼の有名なるナイル及びトラフアルガーの海戰の如き敗軍の一方こそ却て勢力ある多數の軍艦を有したるの事實を知らば漫に軍艦の製造を主張するよりも寧ろ將校の技倆を養成するこそ急務中の急務なるを解するに難からざる可し我輩は更に我海軍の將校と各國將校との學力并に實驗力を對照調査して世人の參考に供する所ある可し