「シヤーマン法の廢止に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「シヤーマン法の廢止に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

シヤーマン法の廢止に就て

北米合衆國の國會が此度シヤーマン法廢止案を可决し政府をして毎年巨額の銀塊を買入るるの責任を免かれしめたるに就ては世間或は之を以て銀貨論者の大失敗と爲し曩に印度の幣制改革と云ひ又今回米國政府の處置と云ひ世界の大勢は既に金本位に定まりて復た動かす可らずなど稱する者少なからざれども斯の如きは誠に輕卒の判斷と云はざるを得ず印度の幣制改革は同國政府が種種已むを得ざるの事情に迫られて斷行したる一時の窮策にして固より以て一般の例と爲す可らず其利害得失に就ても我輩聊か意見なきに非ざれども暫く之を他日に讓り今爰に米國に於ける購銀條例廢止の次第を述べんに抑もシヤーマン法の發布せられたるは千八百九十年のことにして當時の國會には銀黨の勢甚だ強く金一銀十六の自由鑄造案は既に上院の可决を經て今や將に下院をも通過して法律と爲らんとするの徴候見へたりしかば非銀黨の人人は大に驚て種種魂膽の末遂に上院議員シヤーマン氏の名を以て一の購銀案を提出したり是れぞ即ち所謂シヤーマン法にして其目的は專ら銀黨の人を滿足せしめて以て自由鑄造の事を斷念せしむるの一點に在りしこと疑ふ可らず而して銀黨議員も亦この調和的法案を以て頗る自家に利益あるものと認め異議なく之に賛同して自由鑄造案をば放棄したり(自由鑄造案は大統領の爲めに否拒せらるるの恐ありしなり)然るに事の實際に臨んで新法律施行の結果を見るに始めに期したる所とは全く相違して更に銀の相塲を騰貴せしむることなきのみか却て寧ろ之を下落せしむるに與りて力ありしこと事實に爭ふ可らず即ち千八百七十三年に歐米諸大國が爭ふて銀貨を廢したる結果として以後二年間に銀相塲の下落したる高は一オンスに付き僅に五仙五分の一に過ぎざりしものがシヤーマン法發布の年即ち千八百九十年より以後二年間には一オンスに付き十七仙内外の下落を見たり當時世界の銀の産出額が時に大に増加したることなくして銀相塲に斯の如き未曾有の大下落を生じたるは畢竟シヤーマン法の如き人爲の原因に由て然るものと云はざるを得ずシヤーマン法が何故に銀價を下落せしめたるやと云ふに該法に據りて合衆國政府の買入れたる銀塊は殆んど殘らず之を華聖頓の國庫に貯藏しあり其額次第に増加して今は既に何億弗の大數に達したれば商賣社會の者は此有樣を目撃して合衆國政府が如何に資力に富みたりと云ふも斯の如く毎年巨額の銀塊を買入れて永久に持續し得べき筈なし必ず數年を出でずして國庫の金に不足を告げ年來堆積したる銀塊をば賣拂はざるを得ざるの時節に到着す可しとて心ある者は何れも銀を手許に置くことを嫌ふて成丈け之を手放さんとするが故に茲に大に銀の供給を増加し世界一般に銀價益す下落して折角に銀人を悦ばしめんとて造りたる法律も却て之に損害を與ふるの具と爲りしこそ是非なけれ左れば金人も銀人も苟も經濟の理を解する者は皆シヤーマン法の愚なるを承認せざるものなく何れも之を廢止するの議に賛成なれども唯銀黨一部の人は該法廢止論の出でたる此機に乘じて何か自家に都合よき新法律を通過せしめんとの慾念より相結んで所謂無條件廢止説に反對したるを以て討議の時間大に長引きたるのみシヤーマン法が今回の臨時國會に廢止せらる可きや否やに就ては始より疑なかりしことと知る可し右の次第なるを以て米國の銀黨は此度シヤーマン法の廢止に歸したるを見て大に落膽するが如きことは固よりある筈なく明年の國會には又又銀貨問題を提出して花花しき戰端を開くに相違ある可らず之を要するに米國の國會が年年歳歳金銀兩黨の戰塲と爲るは到底免かれ難き所にして彼の萬國兩貨制の實際に行はるるまでは其爭の局を見ることなかる可しと我輩の竊に信ずる所なり左れば米國政府が此度び購銀條例を廢止したりとて直に世界の大勢既に金本位に定まりたりなど想像するは如何にも粗忽千萬の斷定とこそ云ふ可けれ况んや此想像を基として日本國も亦世界の大勢に從て金本位を採用す可しと主張するに於てをや狼狽も亦甚だしと云ふ可きのみ