「雜居尚早論に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「雜居尚早論に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

雜居尚早論に就て

             水戸  某

彼の非内地雜居論者は雜居尚早の説を唱へ頻りに勢焔を張らんとして遂に我地方にまで其餘波を及ぼすに至れり盖し我水戸は曾て攘夷論を唱へて一世を震動せしめたる有名の地にして近世の史上に鮮かに墨痕を染め現に古老輩の今尚ほ存する者あるを幸として之に付込み大に手を廣げんとするの趣向ならん彼等が自家の勢力を張るの手段には自から便宜も少なからず謀り得て妙なるが如くなれども苟も文明の教育を受けて少しく今日の事態に通する我輩に於ては眼前に此論の跋扈するを見て聊か辯ずる所なきを得ず熟ら熟ら其輩の説を聞くに一方には對等條約を主張しながら一方には雜居を許す可らずと云ふに在り事實に於て斯る僻論の行はる可らざるは勿論なれども論理に於ても亦撞着を免れざる者なり抑も對等條約とは兩國を對等のものと見て始めて出來得べき相談にして所謂る國の對等とは獨立主權と云ふが如き單純なる文字上の意味にあらず實際に於て國家人民の地位相等しく實力相平均するの實を見ること肝要なり故に對等條約を望む以上は少なくも彼我國民に優劣なきを識認せざる可らず如何となれば國は即ち人を以て成る者なれば國にして對等ならんとすれば人も亦自から對等ならざるを得ざればなり然るに彼論者は外國人は我人民に非して智力金力共に優等なるが故に彼と雜居するときは我國民は彼に壓倒せらるるの恐あり故に雜居は許す可らずと云ふ是れ明に我人民を以て彼に劣る者と視做し彼人民を優等國人と認むるものなり彼果して優等の人ならんか即ち其人より成れる國に對して對等條約は到底望む可らざるなり我輩は固より對等條約を望んで其必成を期すと雖も决して斯る卑屈の見を抱くに非ず寧ろ我國民は進んで彼等と對等の地位に立ち世界各國の人民と競爭して立派に日本國の體面を保ち得べきを信じて疑はず又今日の實際に於て既に對等の實力あるを知る者なり然るに論者が自から貶して劣等國人なりと云ふは取りも直さず彼我優劣の間には現行の條約こそ相應なれ對等條約などは迚も望む可らずと宣言するに異ならず卑怯の甚だしき者と云ふ可し

我水戸の先君先人は曾て攘夷論を主唱したり然れども其攘夷論の精神は必ずしも無暗に外人を打拂ふの意にあらず外國人の要求に對して國を開くに當り苟も我國權を維持して相當の地歩を占めんとするには我に戰ふの决心ありて始めて能くす可きを以て時に應する政略として之を唱へたるに外ならず即ち先君先人は對等の大義を守り又我國質に對等の實あるを信じ苟も此大義に戻らざれば大に國を開く可し然らざれば一歩も讓る可らずとて扨こそ攘夷論を主唱したることにして或は之を積極的の攘夷論と云ふも可なり然るに今の論者の如きは始めより我國質の彼に劣るを觀念するのみならず現に我實力の如何をも知らずして徒に蝸牛穀中に籠城せんと欲する者なれば自暴自棄、消極的の攘夷論と云ふ可きのみ積極的の攘夷論は時來れば一變して開國論となり對等條約説となる可しと雖も消極的の論に至りては只退て防がんとする卑怯の一方に傾くのみにして遂には力窮して彼に屈服するの外なかる可し我輩は先君先人の攘夷論に對しても今の非雜居論に賛成すること能はざるものなり思ふに我地方の古老輩と雖も苟も先君先人の志を知る者は今の非雜居論には賛成せざることならん若しも然らずして彼の籠城論に雷同し蝸牛穀中に蠢爾として自から萎縮することもあらんには其人人が昔年曾て主張したる攘夷の論は國權を張り體面を保つが爲にあらず只管彼を怖れて近けざらんと欲する者にして恰も小兒が人見シリして泣くに等しく水戸の士人も唯是れ人慣れぬ田舍の小兒なりしと云はるるも恐くは辯解の辭に窮することならん地下の先君先人にして若し〓あらば今日の卑屈論を聞て之を何とか云はん其遺志に負くの甚だしきものなり故に被雜居論に對してはよくよく其性質を吟味し且は目今此論の流行する所以の事情を靜かに觀察して然る後に一身の去就を决す可し卑怯の擧動は男子の耻る所なり若し夫れ雜居の利害に就ては世既に定論あり敢て我輩の喋喋を要せず我輩は只古老の人人に對して一考を促すのみ