「京都の大極殿に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「京都の大極殿に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

京都の大極殿に就て

京都の市民は來る明治二十八年に執行する桓武天皇遷都千百年の紀念祭の用に供する爲め當時の形に摸して大極殿建築の企あり其費用は凡そ二十萬圓の見込にて着手する筈なりと云ふ遷都の紀念祭を行ふは市民が舊を思ふの情として敢て咎む可きに非ず成る可く賑賑しく行ふて其情を慰む可しと雖も斯くの如き金を費して建築を企るは何の爲めなりや或は一時の用に非ず永くこれを存して京都に一美觀を添へ後人をして桓武當時の盛况を回想せしむるの目論見にてもあらんかなれども只一時の思付に僅の時と金とを以て當時の眞を寫すは到底思ひも寄らず若しも之を以て昔しの大極殿の有りの儘を寫したるものなりなど吹聽されなば當時の人は地下に於て泣くことなる可し之を喩へば古代今利燒の陶器の代りに出來合の素燒の粗品を据置くと一般にして迚も比較の限りに非ず我輩は日本美術の名譽の爲めに謀りて斯る不倫の計畫に同意を表すること能はざるものなり抑も二十萬圓の金は京都市民に取りては决して少額に非ず之を大極殿の建築に費して其眞を寫すことを得ざるのみならず却て美術上の不名譽を致して世人の笑を買ふが如き固より智者の事に非ざれども若しも市民が其金額を集むるの力あるに於ては取敢へず使用の必要ありと云ふは外ならず府下の殿堂伽藍を維持して名勝の保存を謀るの一事なり今日京都府下の爲めに謀れば差向きの必要は新奇の奇觀を作るにあらずして舊時の舊物を保存するに在り我輩が屡ば勸告したる如く府下の繁昌を維持するの方法一にして足らざる其中にも外國人の來遊を促すが如きは最も大切なることなりと云ひし其外國人は何の爲めに來るやと尋ぬるに殿堂伽藍の舊物を見物して好奇心を滿足せんとするに外ならず新奇の奇觀如何に奇なるも彼等の心を惹くに足らず其目的は世界に稀有なる古代極彩色の今利燒を見んとするに在るのみ誰れか今出來の素燒に感心する者あらんや分り切つたることなるに曾て此邊に思ひ到らざるか保存法の如き全く等閑に付して可惜舊物を看す看す失ふの憾さへなきに非ず現に粟田口の青蓮院の火災の如き京都人の怠慢と云はるるも申譯けなかる可し京都の殿堂伽藍は其數甚だ多し一一これが保存を謀るが如き力の及ばざる處なりとなれば責めては注意して火の番なりとも置くこととなさば有名の寺院を空しく烏有に歸せしむるが如き失體もなかる可きに一方には二十萬圓の金を投じて無益の建築に着手しながら舊帝都の生命とも云ふ可き殿堂伽藍の保存に就ては曾て心を用ゆる所なきは殆んど狂氣の沙汰と云はざるを得ず過般の地鎭祭の始末の如き既に滿天下の笑を招きたり若しも少しく悟る所あらんには大極殿の建築の如き速に思ひ止まりて舊物保存の事に注意せんこと我輩の勸告する所なり