「・衆議院議長の懲罰」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・衆議院議長の懲罰」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・衆議院議長の懲罰

專制の政治は國を治るに法律と德義と相半にして法律上に許す可き事柄も德義に於て恕す可らざるものは之を罪して假すことなし其弊や君主一人の專橫と爲りて却て大に治安を害することあり之に反して立憲國民の依賴する所は單に法律一偏に限り政權の區域甚だ狹くして苟も法の外に逸するを許さず德行の制裁は輿論に一任して政府の知る所にあらず輿論高尚なれば制裁も亦嚴にして犯す可らずと雖も國民全體の德風尚ほ厚からざるか又は一時の變動に妨げられて廣く敗壞の状を呈するときは輿論の制裁甚だ無力なり即ち立憲の社會に特に宗旨特赦の必要なる所以なりと知る可し頃日我衆院に於て議長星亨氏の敗德云々を立法府の議案として議論紛々の末遂に之を懲罰委員に附し一昨日の議場に於て

 衆議院議員星亨君の懲罰事犯は其情重きに依り議事規則第二百三條及第二百六條に依一 週閒出席を停止す可きものとす

と議決したるよし是れは先般議場にて一議員の動議に

 星亨君が十一月二十九日の議場に於て議長席より發せられたる言動は我衆議院の面目を 汚したるものなり星君が議長としての手腕は賞讚に餘りあれども其言動に不當なること あるに當りては決して之を黙々に附し去るべからず即ち星君は不信任決議案議事の當日 議長席にありて此決議案は不當なるものなれば選擧の責任なしと放言したり是れ正に星 君一己の言語にして議長の言語と認むべからず一己の私見を述べんには宜しく議席に就 くべく又如何なる決議をなすも選擧せずとは何事ぞ議長は議院の決議を執行するの任に あり然るに始めより決議を選擧せずとは啻に其職を涜したるのみならず又議院の面目を 汚したるものと云ふべし云々

と發言したるより生したることならん懲罰の趣意は議長の言動不當なりと云ふものにして敗德云々の本論には關係なきが如くなれども懲罰の文中に其情重きに依り等の文字あるを見れば矢張り敗德の意味も少しは其中に籠りたるものならん云はゞ先づ手心の罰法なるが如し其罰法の如何は姑く擱き元來議長の敗德とは法律上如何なる證左を押へたることなるや實に漠然たる感情に生したるものと云はざるを得ず我輩固より星氏の盛德を欣慕して之に感服する者に非ず、否な自から重きを思はずして無責任の言語を放ち策を弄して之を罵倒せんと欲すれば筆なきに非ず又辭柄なきに非ずと雖も德行論は全く別の問題にして之を論するに法あり場所あり又時節あり唯憲法の下に運動する帝國議會に關しては法律の外に一言半句の自由を許さゞるが故に彼の敗德云々に就ては苟も明白なる敗德違法の實證を得るに非ざれば斷じて罪す可らざるを明言するものなり或は議會は多數を重んず、多數の命する所は理非を問ふ可らずと云はんか、事實の明證をも得ずして多數の感情以て事を斷するとありては議會は明法の府に非ずして感情の席なり立憲政治の精神を離るゝこと遠しと云ふ可し左れば今回の事件を概評すれば衆院が自家の性質に於て論す可らざることを論じ立憲國の人民にてありながら專制時代の舊夢を妄想し法論と德論とを混同して自から不體裁を演したるものと云ふ可し帝國議會尚ほ幼稚なりと云ふも不可なきが如し若し夫れ一個私人の德行に至りては他の敗德不品格を矯正するに自から其道あり星亨氏に對して責む可きもの甚だ多きと同時に議員諸氏に於ても内に自から省みて自から矯正す可きもの亦なきに非ざるべし社會の上流に位する士人は其の名譽の盛なる代りに冥々の閒に自家德行の責任も亦隨て大なり今度偶然の風波こそ不幸の幸なれ之を機會として銘々の心事を一轉し小心翼々謹愼に謹愼して名譽を空ふせざらんこと我輩の切に勸告する所なり