「・非内地雜居論の非を論す」
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時事新報に掲載された「・非内地雜居論の非を論す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・非内地雜居論の非を論す
世閒一種の論者が外人の内地雜居を以て我國の爲めに大不利なりとする其議論の要旨は頗る漠然たれども詰る所、歐米人は日本人に比すれば狡猾にして營利に巧なるを以て一度び雜居の禁を解くときは彼の輩は陸續國内に入込み來り商賣に工業に我國人と利を爭ふは必然にして其結果として遂には日本商人の手に落つ可き利益をば悉く外商に奪ひ去られ我實業界は彼等の蹂躙する所と爲りて復た見る蔭もなき慘状に陷る可しと云ふに外ならざるが如し論者は日本人と西洋人とを比較すれば少なくとも商賣の一點に於ては彼れの我れに勝ること數等なるを明に自白する者にして愛國者の議論としては聊か自信に乏しきものと云はざるを得ず其無氣力なるは兔も角もとして茲に最も注意を要するの一事は今日事々しく非内地の雜居論を主張する者の人物如何の問題なり彼の無智無學なる頑固者流が一片の感情に制せられて所謂異國人を嫌ふが如きは固より論外にして怪しむに足らざれども其論者中にて稍や上流の位置を占め世閒に多少の勢力あらんと思はるゝ人人に就て見るも十中八九は西洋の書を讀まず西洋の人に交らず殊に商賣取引の事は最も不慣れなる所にして知見甚だ廣からず外商に如何なる技倆あるや、日本の實業は如何なる邊にまで發達したるや、内外相接して双方の弱點は果して何れの處に存して利害の歸する所、果して如何なる可きやなど實際の問題に就ては極めて迂闊なる人物のみ此種の人が實業界の商人に面接すれば一言の下に論破せられて辨論に窮するが故に常に之を避けて近づかざるは世の普く知る所なり左れば斯る商賣以外の空論家が商賣上の利害を根據にして内治雜居の得失を喋々するは生來曾て竹刀を手にしたることもなき町人百姓原が劍術の勝負に意見を述るが如し其説の取るに足らざるは固より分り切たることにして我輩は世の實業者と共に重きを置かざる者なり蓋し彼輩は我開國の始に日本人が外商の爲めに欺かれて大判小判の賣買に損失を蒙りたることなどを傳聞し又記臆して歐米人の狡猾を怖るゝ者にてもあらんかなれども是れは日本武士が弓矢を以て異國船を退治せんとしたる其同時代に起りし昔々の物語にして爾來我武備の進歩と共に商賣法も亦共に進歩し大判小判の談の如きは今は唯一場の笑話に歸するのみ誰れか三十餘年前の笑話を今日の實地に再演する者あらんや商家眞劍の勝負に素人の差圖無用たる可きものなり現に橫濱神戸等の開港場にて内外商の取引に外商のみ獨り利益を專らにすることなきを見ても我國人が歐米人に對して利を爭ふの能力に乏しからざるを知るに足る可し或る實業家の話に我國在留の外國商人の中往々内地の米相場などに手を出して勝敗を試るものなきに非ざれども大概は皆失敗して多少の損害を蒙るの常なり斯る商人輩が内地に入り來りて商利を爭ふことあるも毫も恐るゝに足らざるのみか其來ること愈よ多くして商業の愈よ繁多なるこそ商家の本意なれば又面目慣なれ如何なる事情に接するも我商權を奪はるゝなどゝは思も寄らざることなりと云へり之を要するに非雜居論者が内外競爭の結果に就て掛念するは其人の平素商賣の實地に於て外國人の技倆も日本人の技倆も共に之を知らざるの罪にして其知らざるの極、遂に臆病に陷りたるものと云ふ可し左れば身躬から實業に從事して既に外人の手竝を知り又自家の力にも覺ある當局者にして高々大丈夫なりと公言し又實際に徴して之を保證するからには最早や傍より言ふ可き辭柄もなかる可き筈なるに尚ほ喋々止まざるは何か爲めにする所あるものなりとの結論に歸せざるを得ず外交は國家の大事なり政客一時の利害の爲めに之を玩弄せんとするも天下具眼の士人は其裏面にまで論究して許す所なかる可し