「民黨政府亦可なり」
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時事新報に掲載された「民黨政府亦可なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民黨政府亦可なり
今の功臣内閣と民黨政府と何れが好きやと云ふに我輩は何れにも感服せざるものなれども左ればとて又何れにも異論なきものなり唯國の治安進歩の爲めに都合よき政府を見んと欲するのみ抑も國の治安進歩は政府の施政に關係すること多し而して政府は人を以て維持するものなれば先づ其人物の如何を吟味すること大切なれども政府と民黨とを比較して何れに人物多きやと云ふに其判斷なかなか容易ならず若しも老練老巧の人を求るときは或は政府の方に多きことならんと雖も活溌有爲の士は今の民黨に乏しからず老成人は次第に老衰し去りて次第に數を減ずる其反對に活溌有爲の輩はますます發達してますます其地位を進むるが故に今後の望は甚だ大ならざるを得ず人物多少の比較は容易に斷言す可らざるが如し然りと雖も又一方より見るときは政府の地位を維持するには一般の信用を得ること大切にして其信用は必ずしも才智力量の如何に關するものに非ず今の當局の人々は其人物は兔も角も所謂維新の元勳にして其功勞は天下に爭ふものある可らず民黨の有志者などの迚も企て及ばざる所にして信用の一點に於ては充分に政府を維持するの資格に富むと同時に不幸なるは部内に絶倫の大家なくして議論の歸一を得ず唯藩閥と名くる一種の題目を中心にして之に依賴し恰も大勢相持の姿なるが故に其閒に情實の生ずるも實に止むを得ざる次第にして今の功臣政府のあらん限り其情實は掃はんと欲して掃ふ可らず天下の信用を負ひながら二十年來内の折合のみに忙しく何事も擧らずして其信用に孤負するこそ遺憾なれ今後多事の政局に當りて果して治安進歩の大任を全ふすることを得べきや否や我輩の覺束なく思ふ所なり例へば現在の當局者は世に文治派と稱する元老の人々にして多少は經綸の考もあることならんと思ひの外、一定の所見なくして民論の反對を恐るゝ其有樣は多情の細君が亭主の前を氣兼ねしながら竊に情人に媚を送るものゝ如し實に見るに堪へざるの醜態にして文治とは即ち文弱の異名なりと云はるゝも辨解の辭なかる可し又所謂武斷派は如何と云ふに武骨一偏、事に逢ふて變通の策略に乏しきは恰も田舍武士が江戸兒に冷かされヤツキとなつて憤るものゝ如し前内閣の始末の如きは即ち此情態を現はしたるものにして識者の感服せざる所なり畢竟文派なり武派なり其人々に就て見れば決して輕蔑す可きの人物に非ず夫れ相應に見識もあり意見もあることなれども其處が即ち情實政府の情實政府たる所以にして互に其見識意見を實にするを得ず互に不如意を喞つのみにして毫も成蹟の見る可きものなきは敢て今日に始まりたるに非ず而して此情實は人と共に生じたるものなれば人と共に消滅するの外なくして今の元老輩の生存する限りは情實も亦消滅するの期なかる可し誠に堪へ難き次第なれば此處は寧ろ氣を換へて民黨政府の出現も亦或は妙ならんかと誠に其次第を語らんに民黨の中には活溌有爲の後進生少なからず假令ひ政治の難局を引受けたりとて其處置に困却することはなかる可し唯名望の一點は今の當局者に及ばざる所にして一般の信用自から薄きが故に鞏固なる組織は到底望む可らず反對の風波強きときには抵抗の力に乏しく更迭又更迭際限なきことならん治安進歩の大任を全ふするが如きは迚も覺束なしと雖も今の政府とても年來内部の不折合の爲めに更迭又更迭して遂に何事も爲し能はずとあれば五十歩百歩の相違もなく正に難兄難弟のみ藩閥内閣決して有難からず民黨政府敢て嫌ふ可きに非ず且政海の前途を眺むれば多數政治の大勢は世界中の流行にして我國にも政黨内閣の實行は遂に免る可らざるの運命なれば今日より其端を開て政治上の練習を試るも敢て無益に非ざる可し或は一たび其端を開くときは政海風波の搖動は容易に收まらずして秩序の整頓を見るに至るまでは蓋し何十年を費すことならん其年月の閒は紛擾の閒に經過して治安進歩の實を擧ること或は難かる可しと雖も凡そ政治の改進は紛擾の閒に行はるゝものにして是亦深く心配するに足らず今の政府にしていよいよ其責任を全ふすること能はざる上は寧ろ民黨政府の組織を促すも亦自から一策なる可し我輩は只國の治安進歩を謀るに適當なる政府を成る可く早く成立せしめんと希望するものなり