「・大に反省す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・大に反省す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・大に反省す可し

昨今議會の内外に喧しき彼の條約勵行云々の説は國交際上容易ならざる事件にして若しも實際に行はれたらんには其結果の如何なる可きやは論者自身と雖も直に了解することならん然るに公然これを唱へて怪しまざるは眞實その實行を期するに非ず唯この種の難題を持出して政府の當局者を苦しめんとの趣向に外ならざる可し果して斯る趣向のものならんには當局者も別に掛念に及はず只取合はずして可なるが如くなれども實際に然る能はざる所以のものは事、外交に關して自から捨置き難き意味あり其上に又一つには當局者自身が平生の言動に於て自から招たるの弱味あればなり我輩の屡ば述べたる如く明治十四五年の頃政府が遽に敎育の風を一變して古學の精神を復活し自尊自大内外の差別論を明にして其差別論は自然に排外守舊の氣風を養成し知らず識らずの閒に天下の人心を動かしたるが如きは今日の難題を招くの一大原因にして如何に辨解するも致し方なき處なれども假りに一歩を讓り是れは事の遠因として姑く擱くも現時の當局者中には閒接直接に條約論を論じて自から方針を明言したる者あり其言こそ直接に自から苦しむ所の最近因なる可し明治二十二年大隈伯の條約改正の時に當りて正反對の説を爲したる人は今日の内閣に位し當時その反對の趣意は外人を日本の裁判官に採用するは國權を傷くるものなり即ち大隈の改正案は對等の旨に背くとの立言なりき然かのみならず伊藤内閣の政府が議會に對して條約改正の方針を説くに當り凡そ國として有す可きの權利を得、國として盡す可きの義務を全くするに在りと公言したるは益す對等條約の期成を明にしたるものなり前年既に他の改正案に滿足せずして今又自ら對等約の期成を公言したるからには果して自身に其成算あるや否や若しも之あらば直に着手す可き筈なるに又一方には人心の歸一云々など漠然たる辭弊を設けて更に實效を示さず我輩の素より感服せざる所なれども今更ら人の弱味に乘じて痛論するは不本意なるが故に好きほどに之を差置くも政府に反對の民論より見るときは當局者を苦しむるに屈強の口實を得たることなれば如何でか默止す可けんや政府は既に對等條約さへも實行す可しと斷言したるに非ずや況んや現行條約の勵行の如き之を難んずるの理由ある可らず云々と論及するは勢の正に然る可き處にして政府自から其口實を與へたるものに異ならず今日の當惑は當局者が漫に空威張したる反動にして自業自得と云はるゝも聊か辨解に困却することならん昔し德川政府末路の當局者は鎖港攘夷の處分に就き浪士輩の攻撃に苦しむの餘姑息にも京師の命に應じて其實を擧ぐることを請合ひたりき當時の浪士輩固より鎖攘の行ふ可らざるを知らざるに非ず唯政府を苦しむるが爲めに京師の論を動かして其實行を幕府に促したるのみ政府の當局者が亦一時の難を免れんとして表面に請合ひたるまでのことなれども既に之を請合ひながら其實を擧ぐるを得ず是に於てかますます攻撃の口實を與へて遂に大困難を招くに至れり萬々出來ざることゝ知りながら目前の難を避くるが爲めに鎖攘の大事を請合ひたる幕末當局者の姑息手段只驚くの外なし遂に浪士輩の爲めに倒されたるも自業自得と云はざるを得ず今の當局者に對等條約成就の見込ありや否や果して之あらば直に實行す可し勵行云々の説の如き何にも掛念するに足らざる所なれども若しも一時の方便として唱へたるものならば幕末と同樣の結果なきを期す可らず思ふに政府當局の元老中には幕末の浪士にして鎖港攘夷の説を以て時の政府を苦しめたる人もある可

し自から人を苦しめたるものは自から此中の消息を解す可き筈なれば目下の事情を篤と分別し大に反省して當年の愚を學ぶに至らざらんこと我輩の他所ながら忠告する所なり