「・航海奬勵法案」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・航海奬勵法案」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・航海奬勵法案

政府は曩に豫算の説明中歳入超過金の處分に付き凡そ百萬圓は海外に向て本邦船舶の航路を擴張し海運の發達を圖るが爲め航海業に保護を與ふ云々と明言し此程に至りていよいよ航海奬勵法案なるものを提出したり其全文は過日の紙上に掲げたれば讀者の一覽したる所ならん案の要領を記せば凡そ日本人を以て組織する商事會社に專屬する船舶にして日本と外國との閒、又は外國諸港の閒に於て貨物旅客の運搬に從事するものには航海奬勵金を下付す、此金を受く可き船舶は五等に分かち其等級に應じ登簿噸數一噸、航海里數一千海里に付き夫れ夫れの割合を以て支給す、但し政府より利子補給を受る商事會社の船舶の如きに對しては奬勵金を下付せずとの規定なり熟ら熟ら法案の精神を案ずるに國内に於ける一般の船舶所有者を保護奬勵し外國の航路を開かしむることを期するものにして聊か我輩の宿論に齟齬する所あるが如し抑も我輩の航路擴張とは歐洲の如き米國の如き若しくは濠洲の如き海外の線路に定期航海を開き貨物旅客の運搬を便にして以て商賣貿易の盛大を謀らんとするの意にして其事たるや實に目下の急要、一日片時も等閑に附す可らず而して差當り此事に當る可きものは今の日本に於て日本郵船會社の外に適任者なしと斷言して何人も異議なき所ならん然るに法案に據れば政府より補助金を受くる會社の船舶には奬勵金を下附せずとありて郵船會社の如きは無論その恩澤に浴するを得ず左ればとて同會社を外にして取り敢へず海外の定期航海に適任者なしとすれば思ふに此法案は我輩の云ふ航路擴張とは別にして單に一般船舶の外航を保護奬勵するに止まり定期航海の計畫に至りては更に保護の法を規定し追て議會に提出するの意なる可しと推測せざるを得ず如何となれば海外に定期郵船の航海は我實業社會一般の希望にして政府に於ても既に其必要を認めたる以上は自から成案なきを得ざればなり而して其金の出所は如何と云ふに豫算説明には唯航海奬勵の爲めに凡そ百萬圓を超過金の内より支出するとのみ記して他に用意の資本もなきが如くなれば政府は此百萬圓を以て廣く船舶の外航を奬勵し又定期郵船の航海をも保護して兩樣の用途に充んとするの目算なる可し目下我國の船舶を見るに法案に規定したる一等二等の資格を備ふるものは殆んど絶無とも云ふ可き有樣にして以下のものとても甚だ多からざるが故に其外交を奬勵するにも多額の金を費す可きに非ず假りに一年五十萬圓と豫算して充分なる可きか、果して然らば一方の航路擴張即ち定期航海の保護に差向く可きものは殘る五十萬圓のみなれども五十萬圓の少額にて能く其目的を達し得べきや否や覺束なく思ふ所なり前にも記載したるが如く海外の航路には歐洲線あり米國線あり又は濠洲線あり若しも濠洲線のみを取らんとならば此金額にても或は不足なからんかなれども今の時に當り航路擴張の計畫を爲すに僅々五十萬圓の少額を以て遽に濠洲の一線を開かんとするが如きは我輩の贊成せざる所なり(歐洲米國の兩線に就ては我輩は先づ第一に米國線を取らんとするものなり其意見は別に論ず可し)然れども右は未發の案なれば姑く擱き扨此法案に對する意見は如何と云ふに其細目は兔も角も大體に於ては大贊成なりと斷言して敢て憚からざるものなり(法案は船舶の等級を分つに噸數及び速力を以てしたり近時西洋にては單に速力のみに對して保護を與ふ可しとの説さへありと云ふ今、從來の噸數保護の慣行に加味するに速力保護の説を以てしたるが如き聊か我輩の意を得たるものなり)本來日本の如き海國に在りては疾くに是種の規定ありて外國の航海を奬勵す可き筈なるに今日に至るまで等閑に付し去り却て世論に促されて遽に思ひ立たる其怠慢の責は當局者の免れざる所なれども既往の事は今更ら云ふも無益なり我輩は此法案が他の定期航海の方法と共に議會を經過して一日も早く實行せられんことを希望するものなり

然りと雖も一國の航海業は航海其物のみを奬勵して遽に發達を見る可きものに非ず即ち其事業に關係ある各種の事業も共々に保護奬勵して始めて充分の結果を現はすは西洋諸國の實現に於て明なる所なり例へば熟練なる水夫を得んとするには水夫養成の法なかる可らず完全なる船舶を得んとするには造船業の保護なかる可らず又自船を以て外國より品物を輸入する場合には輸入税を減免するが如き奬勵法の最も有效なるものと云はざるを得ず其工風は一にして足らざれども評論は他日に讓る可し