「撰擧競爭の新例を望む」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「撰擧競爭の新例を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

撰擧競爭の新例を望む

衆議院解散を命ぜられたるときは解散の日より五箇月以内に召集すること憲法の定むる所

にして又召集には議院法により少なくも四十日前に發令せざる可らざるが故にイヅレ今度

の總撰擧は來る二三月の頃なる可し議員候補者は申すに及ばず官民一般の繁忙察するに餘

りある次第にして特に解散後の撰擧を前例によりて見るに尋常一樣なる贈賄脅迫の域を超

えて劔火飛び砲聲起り人を殺し家を燒くの甚だしきに至りたることさへありて啻に人民の

自由撰擧を害するのみならず餘炎永く延いて地方の安寧を妨げ其弊殆んど言ふ可らざるも

のあり左れば吾も人も之を忌み之を恐るゝの習となりて例へば解散の一事にても官民とも

に其事の容易ならざるが如く認むる所以は衝突の不詳なるが故に非ずして實は之に伴ふ撰

擧の弊の堪へ難きを以てなり誠に立憲體内の毒蟲にして之を療せざる限りは到底健全の生

育望みなしと云ふも不可なければ我輩は常に心を用ゐて矯正の策を求め之を泰西諸國の例

に徴して秘密投票の制こそ最も有功なる可し云々とは毎度論じたる所なりしが世や「政技

者の時代」にして政騒の混雜を奇貨として東馳西奔以て營生の料に供するの小輩多く爲め

に議員も制肘せられて撰擧法の改正にも敢て秘密投票の案を立つる者なく荏冉今日に至り

たることなれば今度の總撰擧にも定めて種々の怪談を耳にするならん扨々忌はしき限りな

れども秘密は後日のこととして差向き我輩が此際撰擧競爭に新例を開かんことを望むもの

は外ならず現内閣は前内閣の干渉を非難して遂に其更迭を促したる程の次第にして前議院

も亦當時の惡例を攻撃して之を天〓〔門構えに昏〕に訴へたるものなれば弊の弊たるは飽

まで承知の所なるのみか苟も一點の德義心あらば必ず其言に對して行爲を愼まざる可らざ

るや論を俟たず聞く所によれば政府にては决して干渉をなさずと雖も干渉元來不可なる上

は何人の干渉も亦非ならざるを得ざるが故に民黨となく吏黨となく都て撰擧人の自由に任

せ其自由を保護せんが爲めには屹度嚴重の取締をなす可し云々と顧ふに前内閣とても亦眞

正面より干渉を公言したるにわらず撰擧の自由を保護せんとは矢張り其唱ふる所なりしか

ども實際に於ては中央の趣旨を傳へ又傳ふる間に幾重にも誤解を重ねて遂に大なる不體裁

を演じたることなり左れば現内閣に於ても或は同樣ならんかと我輩の竊に掛念する所なれ

ども既に弊に弊を重ねたる今日なれば是非とも既往の失體に傚ふなきを祈り又實際に左る

ことはある可らずと信じて相顧みて民黨の一方を見れば啻に干渉を攻撃したるの言責在る

のみならず此回の解散たる政府が攘夷思想の跋扈を憂ふるに出でたるが故に其决心も尋常

ならずして猶ほ此末とも鎭壓の方針を屈せざる由なれば大に撰擧に勞して幸に當撰するを

得るとしても苟も其言行に排外鎖國の臭味あらんには政府は斷じて之を許さず議院の運命

甚だ危くして又もや第二の解散に遇はんも知る可らず左りとは排外宗旨の士人の爲めには

甚だ面白からざる次第にして今度の總撰擧に競爭を試むるは先づ以て一考を要す可し目下

流行の風潮に從へば非内地雜居又は現行條約厲行論などこそ撰擧競爭の一本槍にして縦橫

無盡に無責任の言論を逞ふすれば或は一時の民心を動かして投票を得ることもある可しと

雖も此種の當撰者が議院に集るときは其議院は必ず解散の運命に罹らざるを得ず勞して功

なき次第なれば凡そ排外宗の候補者は此際大に節を變して論鋒を穩にするか然らざれば競

爭當撰を斷念することならん我輩の最も祈望する所なり果して然らば政府も干渉は本意に

あらず民黨も亦躊躇する所ある可き譯にして以心傳心互に差控ふることゝならば是に於て

か撰擧の面目始めて一新し延いて後年の好例摸範となるを得可し蓋し此新例たるや必竟本

然の性質にして從來は實に變形なるのみ衝突解散の餘偶然にも撰擧の本色に立歸ることを

得ば豈また天下の慶事にあらずや新年の吉端として敢て一言を呈する者なり