「自轉車」
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時事新報に掲載された「自轉車」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
自轉車
身體を健康に保たんとならば日々適宜に運動すかしとは醫家の常に云ふ所にして誰しも是
れに異論を唱ふる者はあらざれども扨實際に世間を見れば能く此敎を守りて運動を怠らざ
る者とては割合に甚だ少なきが如し思ふに世間の人も運動の効能を知らざるに非ず之を知
りて之を行はんとするの念はあれどもいよいよの塲合に臨んで適當の方法を得ざるに苦し
むものならん元來運動とは手足を動かして身體に疲勞を覺へしむるまでのことなれば至極
無造作にして譯けもなき事のやうなれども唯身を勞するのみにして其間に何か精神の快樂
なくては自から人をして倦ましむるの情あり且その快樂も年齢の最少に從て趣を異にし
人々必ずしも一樣なるを得可らず例へば學校生徒の如き年少の輩には競走、〓〓、球技等
種々樣々の面白き運動法少なからざれども中年以上の人々が其仲間に加はりて奔走遊戯せ
んとするも何か大人氣なき心地して興を催ほすに足らず左れば大人には自から大人相應の
運動法を得て且身を勞し且心を樂しましむることこそ要用なれども之を行ふに金と時とを
費すこと多くしては是れ又實際の故障にして廣く世間に行はれ難し斯る次第にて單に運動
と云へば譯けもなき事のやうになれどもいよいよ之を試んとすれば色々の差支ありて容易
に良法を得ること能はざるは世人の皆常に實驗して知る所なり是れぞ即ち今日學生以外の
社會に運動の流行せざる一大原因なる可し就ては此種の人々の爲めに丁度適當の運動法な
らんかと我輩の思付きたるものあり即ち自轉車のことなり抑も自轉車の發明は數十年前に
在れども今日一般に用ひらるゝ所の輕便迅速なる機械は僅々五六年來の製造にして殊に彼
のニユーマチツク、タヤーと稱する空氣を入れたるゴムの輪縁は一昨々年の發明に係り爾
來これが爲めに俄に速力を增して今日の處にて陸上走行の利器は汽車に亞で自轉車なりと
云ふも過言にあらず其走ることの速なると共に運轉も亦滑にして激動なく之に跨りて平坦
の道路を疾走するときの感覺は實に壯快極まりて名状す可らざるものありとは實驗者の皆
共に言ふ所にして且つ近頃流行の所謂安全車を用ふるときは危險の憂もあらざれば體力の
強弱に拘はらず之を試みて適宜に身を勞しながら自から精神の快樂を得べし又費用の點よ
り云ふも最上等の機械を買ふには二百圓以上を要すれども尋常普通の車は百圓以下五六十
圓に過ぎず一度び之を買求めたる上は手入に出費を要することも殆んど稀にして且つ保存
に注意すれば數年の久しきに堪ゆるが故に馬を飼ふの費用に對して比較す可らざるのみか
日々會社役所などに出勤する者が之を用れば人力車の賃錢を省き自轉車買求の代價と差引
して却て利益ある可し
自轉車の速力の大なるは今更ら云ふまでもなきことながら左に昨年十二月の調査に係る世
界の最良結果を示す可し
距離 時間 人名 年 月 日
半 哩 五十六秒五分ノ三 Bling(米) 千八百九十三年十一月十八日
一 哩 一分五十八秒五分の一 Johnson(米) 千八百九十三年十一月九日
五 哩 十一分六秒五分の一 Meintjes(濠洲)千八百九十三年九月十一日
十 哩 二十三分四秒五分の三 同 上 千八百九十三年九月十四日
五十哩 二時五分四十五秒 stoaks(英) 千八百九十三年八月卅日
百 哩 四時廿九分卅九秒五分ノ一 Linton(英) 千八百九十三年十月廿一日
時間 距離 人名 年 月 日
一 時 二十六哩百〇七ヤード Meintjes(濠洲)千八百九十三年九月十四日
六 時 百廿七哩百三十ヤード Desgranges(佛)千八百九十三年十月三日
十二時 二百四十哩六百九十ヤード Wridgway(英)千八百九十三年十月七日
廿四時 四百廿六哩四百四十ヤード Sharlmnd(英)千八百九十三年七月廿一、廿二
日
自轉車の速力大なるにも拘はらず之に乘る者の疲勞を覺へざるは殆んど信ず可らざるもの
あり極めて虚弱なる人にても少しく慣るゝときは日々三四十哩(即ち十三四里)の路を走
るも更に疲るゝことなく強壯なる人に至ては一日に百哩以上を走て平氣なる者さへ少なか
らず機械の功德大なりと云ふ可し近來歐米諸國にては自轉車の流行日にますます盛にして
老若男女皆これを試るの有樣なり我國にても二三年來漸く其流行を催ほし既に之を實地に
使用したる人々は一擧して身體の運動と精神の快樂と又日常の實用と三者を併せ得たりと
て悦ぶ者多しと云ふ事小なるに似たれども聊か記して世の運動法に苦む人の參考に供する
のみ