「本軌鐵道と狹軌鐵道」
このページについて
時事新報に掲載された「本軌鐵道と狹軌鐵道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
本軌鐵道と狹軌鐵道
左の一編は先年福澤捨次郎氏が米國留學中鐵道の本軌狹軌の得失を論じたる作文の中より
大要を拔萃して翻譯したるものなり方今世間に廣軌鐵道の議論ある折抦なれば參考の爲め
記して社説に代ふ
本軌鐵道と狹軌鐵道 理學士 福澤捨次郎
本論の目的は本軌鐵道(即ち歐米諸洲に專ら行はるる四呎八吋半の軌道を云ふ)と狹軌鐵
道との利害得失を比較して其經濟上の優劣を定るに在り此比較をして公平ならしめんが爲
めに余は運搬物の性質、分量等をば二者に於て同樣なりと假定し同數同質の乘客荷物を運
搬するに本軌鐵道と狹軌鐵道と孰れが最も便利なるかを斷定せんと欲する者なり盖し通常
世人は乘客貨物の運送甚だ頻繁なる本軌鐵道を以て運搬少なき片田舎の狹軌鐵道に比較し
て直に狹軌鐵道は廉價なり經濟なりと稱する者多し公平なる觀察と云ふ可らず又狹軌鐵道
を非とする者は他線と聯絡を失するの一事を以て其大欠典と爲すの常なれどもこは偶ま歐
米諸國に於て四呎八吋半を以て軌道の標本と爲すがために生ずる不都合にして狹軌鐵道に
固有の弊害に非ざること明白なれば本論には更に關係なきことゝ知る可し
狹軌鐵道の第一の利益は線路の幅狹きが故に切取り及び築堤の土工費少なきの一事なり然
れども線路の幅は軌道の幅を減ずるよりも餘計に減じ得べきものに非ざれば此點より生ず
る利益は决して世人の考ふるが如く大なるものに非ず試に之を計算するに路幅十四呎、中
央の高さ十呎、左右の傾斜一半に付一なる本軌鐵道築堤の計畫を狹軌(三呎)に變ずるが
爲めに土量の減ずる高は僅に百分の六に過ぎず又此の變更に就きカルベルト、土管の長さ
も幾分か減少するに相違なしと雖も其爲めに生ずる利益は土工費の儉約よりも尚ほ些細な
るものなり隧道の工費も軌道を狹くするに隨て幾分か減少す可しと雖も隧道工事中にて最
も困難なる堅坑及び頭坑(本坑より少しく先に進んで穿つ小さき坑道にして後に之を掘廣
げて本坑と爲すもの)を穿つの勞力は軌道の廣狹如何に拘はらず同一なること勿論にして
又周圍の壁を積立る費用も决して軌道を狹くする其割合には減少せざるが故に隧道費に就
ての儉約は思の外に大ならず又狹軌鐵道に於ては枕木の長さ及び太さをば少しく減ずるを
得可しと雖も大に之を減ずるときは枕木のバラスト(線路に敷く砂利)に接する面積を減
ずるが故に軌道の強固性を損じ爲めに線路保存に餘計の手間と入費とを要するに至る可し
左れば實際米國などの狹軌鐵道にては本軌鐵道と同じ大きさの枕木を使用するもの少なか
らずバラストも亦枕木と同じく軌道を狹くしたりとて漫に之を減ずるときは線路保存費に
影響を及ぼすが故に大に儉約を施す可らず
車輛の重量及び代價の點に於ては狹軌道に聊かの利益もなし凡そ客車にても貨車にても其
容量を變せざる限りは車の幅を狹くするに隨て長さを延ばさゞる可らざるが故に狹軌鐵道
の車輛が本軌鐵道のものよりも重量少なきの理由は固よりある可らず貨車客車の重量に異
なる所なければ之を引く機關車の重量、馬力等も亦軌道の廣狹如何に拘はらず同樣ならざ
る可らず又同じ容量の車を製造するに其形の長短廣狹に由りて代價の異なる謂れなし現に
何處の製車會社に於ても狹軌の車輛を造るに同容量の本軌車輛よりも安き代價にて引受る
者なきを見ても明ならん機關車に於ても亦之と同じく軌道の廣狹に由りて其代價に高低の
差を生ずるが如きことは决してあることなり
列車の重さに變りなき以上はレールの大さも亦兩軌道同一にして差支ある可らず又橋梁は
唯聊か幅を廣くするまでのことにして是れが爲めに別段に入費の嵩むことなし何となれば
橋梁の建築費は之を通過する機關車の重量に由りて定まるものにして其廣狹如何の如きは
極めて些細の事抦なればなり
曲線の抵抗に關する兩軌道の差は狹軌鐵道に在ては内側のレールと外側のレールと長短の
差、本軌鐵道に於けるよりも少なきが故に外側の車輪がレールの上を廻轉せずして滑るこ
と少なきの一事に外ならざれども此點より生ずる利益は誠に僅小ものにして敢て考究する
の價値もなき程なり線路敷設の際聊か勾配の取方に注意するときは本軌鐵道の曲線抵抗を
して狹軌鐵道と同一たらしむること甚だ易し米國などの例を見るに廣軌鐵道にして狹軌鐵
道に劣らざる劇しき曲線を用ふるもの甚だ多し
狹軌鐵道に於ては車輪と車輪との間狹きを以て車體安穩ならず大速力を以て疾走するとき
などには顛覆し易きの弊あり但し車輪の直經を縮めて車體の重力中心を低くするときは少
しく此弊を減ずることを得べしと雖も車輪の小なるに隨ひ摩擦を大にして列車の抵抗を增
加するの害あり何となれば摩擦は車輪の直徑と正しく反對の割合を以て增減するものなれ
ばなり右の如く狹軌鐵道に於ては車輪の顛覆し易きと又車輪の摩擦大なると此二原因の爲
めに汽車の安全なる速力、本軌鐵道に於けるよりも少なからざるを得ず是れ恐らくは狹軌
鐵道の最大缺典なる可し
車輛をして疾走の際容易に顛覆することなからしめん爲めには其高さ及び幅をば軌道の幅
と各一定の割合に定めざる可らざるを以て狹軌道の車輛は同容量の本軌道の車輛よりも幅
狹く高さ低き代りに長さは長からざるを得ず然れども車輛の長さは限なく延ばし得べきも
のに非ざれば結局狹軌鐵道の車輛の容量は本軌鐵道の車輛に及ぶこと能はず隨て多量の乘
客貨物を運搬するに當ては狹軌の本軌に及ばざること明白なりと云ふ可し又同量の貨物を
運搬するに狹軌鐵道にては車數多く且つ列車長きを以て列車費及び避線等の入費本軌鐵道
に於けるよりも大なり
以上論ずる如く狹軌鐵道の本軌鐵道に優るの點は唯築堤、切取、隧道、石積、枕木、バラ
スト等に於て極々些細の利益あるのみにして其代には營業上種々の不利益少なしとせず之
を要するに狹軌鐵道は運搬物の數量少なく且つ速力も大なるを要せざる商賣不繁昌の塲所
即ち鐵道の要用を感ずること最も少なき地方に敷設したらんには或は利益なるやも知る可
らずと雖も一般普通の塲合に於ては本軌鐵道の方遙に利ありと知る可し