「新聞紙の勢力」
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時事新報に掲載された「新聞紙の勢力」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新聞紙の勢力
新聞紙は世の中の出來事をば細大漏さず公衆に報道し常に社會の大勢に注目して百般の事
項に付き自家の意見を述べて以て世人の敎師と爲り又案内者と爲るの責任を負ふ者にして
是れぞ即ち其勢力の由て生ずる所なり西客の説に新聞紙の勢力如何は發賣紙數の多少に由
ること勿論なれども又一方より見れば單に其紙數の多きのみを標準にして勢力大なりとは
斷言す可らず何となれば購讀者の數が如何に多しと云ふも其讀者にして社會に勢力なき無
學無能の輩ならんには新聞紙の勢力も亦隨て大なるを得べからざればなり抑も社會の原動
力と爲りて其進退を支配する者は畢竟ずるに中等以上の人に外ならざれば新聞紙が社會に
勢力を得んとならば專ら此種族の信用を得て其尊敬を受ること肝要なり上流士人の信用尊
敬を博せんと欲せば何はさて置き先づ紙面の體裁を上品にして成丈け野卑粗暴の記事を載
せず只管士君子の高尚なる感情を害するなからんことを專一とせざる可らず新聞記者は其
紙面の上にて廣く人と交際する者なれば紙上の記事にして士君子に似合はしからぬ下品の
風調を現はすときは忽ち上流社會の厭ふ所と爲りて其尊敬を失ふこと恰も一個人の品行脩
まらずして朋友知己に疎んぜらるゝものに異ならず云々と此説果して違ふことなくんば我
輩は日本の新聞紙に對して多少の不平なきを得ず近來その紙上に記す所を見れば政黨の機
關新聞又は御用新聞が徃々無理なる筆を舞はして自から利せんとし又その事ふる所に厚く
せんとするが如きは政治上の爭より生ずることとして尚ほ恕す可きも其記事時としては政
爭の域を脱して人身攻撃に亘るものなきに非ず殊に彼の小新聞小雜誌の類に至りては其弊
最も甚だしく卑猥極まる文字を並べて人の私事秘密を公言するのみならず事實になきこと
さへ誠しやかに書き立てゝ其本人の面目を害し併せて社會の耳目を誤らしむる其樣は如何
にしても士君子の口より發す可き言とは思はれず元來人間多數の嗜好は案外に下品なるも
のにして例へば劇塲寄席などにても演技者が成丈け上流士君子の目に見苦しき樣を演じ耳
に聞づらき言を放てば見物の多數は却て之を悦ぶと一般の道理にて今日の新聞紙が務めて
紙面を醜くするも其發賣高を多くするの一手段として自から商賣上に利する所なきにあら
ざる可しと雖も其看客は單に下等社會に止まりて上流に及ぼすを得ず且その下等の看客と
ても唯一時の慰に讀流すまでにして素より其記事に重きを置くにあらざれば新聞紙の信用
勢力は之が爲めに增す可きにあらず既に信用薄くして勢力なしとあれば假令ひ如何なる記
事を記するも世間一般の見る所にては又例の新聞紙の構造説か例の惡口雜言か最早や毎度
のことにて聞飽きたりとて遂には之を顧みざるに至る可し左とは單に商賣主義とするも永
久の計にあらざるが如し人身の攻撃私事の摘發も近來既に頂上に達して其反動の不評判は
决して免かる可らず記者に於ても今に及んで早く反省あらんこと我輩の慇懃に勸告する所
なり