「農商務大臣の更迭」
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時事新報に掲載された「農商務大臣の更迭」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
農商務大臣の更迭
後藤農商務大臣が辭職の决心は我輩の數日前より聞く所にして政府の情實止むを得ずとは
云へ今日の塲合に辭職とは取りも直さず民論に對し退歩の實を現はすものにして政府の不
利この上もなかる可しとは毎度勸告したる所なれども情實政府に眞面目の議論は恰も馬の
耳に風にして其辭職は昨日を以て聞届けられ後任は榎本樞密顧問官に命ぜられたり後藤伯
の辭職は今更ら致し方なしとして其後任に就ては過日來誰れ彼れとの風説頻りにして或は
前内閣の人を以て之に擬するものさへもありしが榎本子が意外の邊より出でたるを見れば
政府は色々に苦心して候補者を求めたれども所謂八方塞りの有樣にして其人を得る能はず
遂に意外の邊に落札したることならん情實の情態推して知る可きなり本來を云へば後藤伯
既に留む可らずとするも官民相對して一毫も輕重す可らざる今日に當りて其後任者を求む
るには最も人撰を謹しみ實際の技倆は兎も角も外に對して重きを成すに足る可き人を得る
の注意肝要なるに交迭の結果は則ち然らず例の如く當座を彌縫したるの形迹自から明白に
して前任者の入閣亦一毫の重きを加へず只この際に無益の交迭を行ふて外に向て動搖の氣
色を示したるに過ぎず政府が民黨に對して頗る决心する所ありと云ふ其决心の始めに於け
る擧動既に斯くの如し今後の成行甚だ覺束なしと云ふ可し然りと雖も今回の更迭は昨今の
情態容易に後任者を得る能はざるより兎に角に一時、間に合せの手段にして今後政界の模
樣次第に切迫すると同時に政府の决心いよいよ定まるに至るときは都内の形勢も自から一
變して更に再度の交迭を見るの機會ある可し一時の彌縫、忽ち綻びを生じて再び修覆の針
を勞するに至るは今より分り切たることにして政府の爲めには甚だ不得策なれども其不得
策は夫子自からも知らざるに非ず知りながら之を演ずるは即ち情實政府の持病にして何れ
遠からざる内に再演の擧あることならん今度の新任者に對して只御苦勞千萬の挨拶を呈す
るの外なきのみ