「誕生と葬式」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「誕生と葬式」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

誕生と葬式

維新以來政治の革命と共に社會の風俗習慣にも非常の變化を催ほして其動搖の波瀾今尚ほ

収まらず種々の奇觀を呈して人の耳目を驚かすの事實少なからざるが如し冠婚葬祭の如き

最も著しきものなれども取り敢へず誕生と葬式とに就て聊か我輩の見る所を語らんに抑も

生死は人生の大事にして吉凶の兩極點に位するものなれば古來生を祝し死を弔するの二事

に最も重きを置きたるは人情の自然に出でたるものにして其習慣の由來は决して一朝一夕

の事に非ず即ち小兒の誕生するや神詣と唱へて家の氏神と仰ぐ所の神社に参詣し神官の手

より神酒を頂戴するの例にして或は三歳の祝と云ひ七歳の祝と云ふが如き小兒に關する慶

事には必ず神詣の禮を修めざるはなし之に反して不幸の塲合には一切神に遠かり僧侶の手

に委するの例にして葬式の事は固より申す迄もなく年忌年回の席には必ず僧侶を招きて讀

經を依賴するの常なるは佛事供養の名あるにても知る可し右の如く慶事は神、凶禮は佛と

二樣に區別したるは如何なる原因なるや其次第は兎も角もとして一般の感情に於て誕生の

祝の如き目出度くして勇ましき事は總て神に伴ひ之に反して人生に悲しむ可き葬式の如き

佛に限るの習慣は既に第二の天性を成して苟も變ず可らず例へば新年の禮にしても神酒を

神棚に供へて縁喜を祝するは一般の例なれども寺の坊主が新年早々年始に來るが如きは何

れの家にても嫌はざるはなし吉凶の禮に神佛を異にするは千百年來の習慣にして曾て之を

疑はざりしものが維新の始めに國學者の流が一時勢力を逞ふして祭政一致など云ふ奇説を

唱へ佛法を擯斥すると同時に從來宗教には縁もなき神道をして宗旨の形を成さしめんとて

無益の殺生を試みたる其盡力は實際に無益にして目的は達せざりしかども之が爲めに千百

年來の習慣を動かし人生の大事なる葬祭の事までも無茶苦茶にして人情の自然に反する奇

怪の新例を見るに至らしめたる如き實に言語道斷と云はざるを得ず維新以來世間の葬式に

神葬式と稱するものあり其有樣を見るに神官が衣帶を着して宣詞を讀み神酒神饌を供する

等、全く神を祭るの式に異ならず是れは尚ほ可なれども既に神祭とあれば酒を飮み肉を食

ふも禁ずる所に非ずとて來弔の人々に酒肴を饗するは勿論、或は死者の棺前に一大饗宴を

開て飮食談笑、恰も婚姻の席の如く不幸を弔ふものか又は之を祝するものか傍人の目には

見分け難き程のことさへもなきに非ずと云ふ驚き入りたる次第なりと云ふ可し抑も學者の

眼を以て見れば葬式の如き如何なる體裁にても差支なく死後の霊魂が高天原に留るも又は

極樂淨土に徃生するも敢て關する所に非ざれども凡俗の情に於ては决して然らず後生の安

心は今日の處世にも大切にして即ち下等社會に宗敎の欠く可らざる所以なるに人生に最も

悲しむ可き不幸を恰も御祭りの如くに心得、吉凶の禮を混用して憚る所なきが如きは實に

宗敎上の安心を妨ぐるものにして微妙に觀察するときは其影響容易ならざるものある可し

經世家たるものゝ大に注意す可き所ならずや此邊の意味に關しては我輩に於ても大に説な

きに非ざれども其論は姑く他日に讓り取り敢へず人生の大禮に吉凶の區別なく殊更らに千

百年來の習慣に背き自然の感情に反するが如き不體裁は何とかして止むるの工風なきや敢

て世の經世家に望む所なり