「内務大臣の訓令に就て」
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時事新報に掲載された「内務大臣の訓令に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内務大臣は今度の總撰擧に付き神佛各教宗派の管長に訓令を傳へて布教傳道に從事する教師僧侶たるものは苟も撰擧の競爭に關係す可らざる旨を丁寧に戒しめたり至當の訓令にして其輩に於ても素より異議なきことならん盖し神道各派の如きは表面に宗教の形を成せども實際の勢力は微微たるものにして深く意に關するに足らざれども佛教に至りては千百年來純然たる國教の體を備へて人民の歸依一方ならず其勢力を政治上に及ぼしたるの例も少なからずして神道と同日の談に非ず若しも一旦撰擧に關係するが如きこともあらば爲めに國内の人心を動かして其影響は政府の干渉に比して更に大なるものある可し既に前年の撰擧に際して東本願寺が自から訓令を發して管下の僧侶を戒め一切撰擧に關係するを禁じたるが如きも是邊の掛念あるが爲めにして宗教と政治と相混ずるは一般社會の迷惑のみか詰り宗教本來の旨に背きて墮落自滅の端を開くものなれば他の助言を待つまでもなく自から戒しむ可き所なり左れば今回の訓令は宗教家の最も重んず可き所にしてますます政教の別を明にして苟も僧侶たるものは寸毫にても政治に關せず全く俗界を相離れて其本分を守る可きこと勿論なれども既に僧俗の區別を分明にして僧侶を方外の者と視做し政治上の權利を與へざる以上は一方に於ては其身分に相應する特典なきを得ず其特典とは我輩の屡ば述べたる如く徴兵の義務を免ずるの一事即ち是れなり本來軍隊は殺伐の事を司る者にして單に博愛慈惠を旨とする宗教と相容れざるは申す迄もなく僧侶の持戒修業は軍人の生活と兩立せざる者なれば僧侶に兵役を課するは恰も其信仰を蹂躙して精神上に之を殺すものに異ならず兵隊は國家の防衛に欠ぐ可らずと雖も宗教は人心の維持に必要なり經世の點より見るときは双方共に立國の要具にして其輕重は容易に判斷す可らざるが如し或は單に有形上より論じて僧侶も亦一個の國民なれば一般に負擔す可き兵役を免るるは國民の義務に於て相濟まずとの説もあらんなれども既に其身を世外の者として政治上の權利を許さざるのみか寸毫の關係をも禁止しながら却て義務のみを負擔せしむるとは不都合の談にして事實に於ても許す可らず我輩は今度の訓令の至當なるを認むるものにして今後ますます其旨を嚴にして僧俗の區別を明にし全く政治上の關係を絶たしむると同時に一方に於ては徴兵免役の特典を與へ專ら布教傳道の責任を盡さしめんことを希望するものなり