「 民論の反對を恐るゝ勿れ 」
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時事新報に掲載された「 民論の反對を恐るゝ勿れ 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民論の反對を恐るゝ勿れ
今更ら云ふまでもなきことながら今日民間政客の目的とする所は唯政府に反對するの
一事に在りて苟も政府の所爲とあれば事柄の何たるを問はず一も二もなく之を攻撃するの常にして例へば今回の總撰擧にも各派の候補者は皆相競ふて己れこそ政府と氷炭
相容れざるの敵なりと公言し演説に新聞紙に口を極めて政府を罵倒し苟も吏黨の名を附せられんことを唯これ恐るゝの有樣なり然るに一方に於て政府の當局者は此攻撃に對して果して如何なる方針を取りつゝあるかと云ふに相變らず彼の所謂超然主義を遵奉して固く自から其口を閉し民黨論者の云ふ所に對しては一言の答辯をも爲すことなく只管これと論爭することを憚り恐るゝのみならず或は心にもなき種々樣々の法案などを提出して以て反對者の歡心を求るの形蹟さへなきに非ず其目的果して何れの邊に在るや解し難しと云ふ可し元來立憲國の政府が在野の黨派に攻撃せらるゝは自然の順序にして怪しむに足らず在野黨は在朝黨の非を擧げて其信用を傷け取て自から之に代はらんとするの目的にして分り切つたることなれば其擧動を見て之を恐れ其所望に應して政を行はんとするは行政々府の實際に叶はざることなり左れば歐米諸國に於ては何れの政黨が政府に在りて如何なる政事を行ふも在野の政黨は必ず之に反對するの常例にして罵詈非難の聲囂々として四面に喧しと雖も在朝の當局者に在ては更に之に頓着することなく自から自家の主義方針を説明して其所思を斷行するは勿論、尚ほ進んで反對者の議論を排撃して其非を天下に示すことを勉めざるはなし如何に立憲政治の趣旨は人民の輿望に從ふに在りとは云へ政府が故さらに自家の意見を枉(原稿・抂は誤植)げて反對黨の歡心を求るが如きに至りては實に甚だしき異例の沙汰にして獨立政治家を以て任ずる者は心に耻る所なきを得ず立憲政治の運動を簡單に云へば在朝黨と在野黨と互に主義意見を闘はす其間に人民は之を傍觀して孰れにても其最も自家に利益なりと思ふ方を助けて之に政を托することなるに今一方の政黨が相手の攻撃に對しては何の答ふる所もなく却て種々の方策を運らして他の歡心を買はんとするの色あるは詰る所、竊に降參の旗を飜へしたるものにして恰も力士が未だ相手と取組まざる前に内々意を通じて勝負を買はんとするの魂膽に異ならず見物人たる人民は何とて斯る臆病者に贔負するの理あらんや思ふに今日政府の局に當る元勳の諸老は我國第一の政治家を以て自から居り世間も之を許す所の人物にして國家重大の問題に付き必ず新奇特別の政案も乏しからざることならん遠慮に及ばず之を言論し又これを實際に行ふて以て政府の主義の在る所を明にしたらんには從前政府を知らずして反對したる者も或は大に悟りて政友と爲ることもある可し或は又不幸にして當局者の主義が國民の意に叶はずして不人望に不人望を重ね遂に年來の信用をも失ふて事實政機の運轉に差支を生ずることもありとせんか其時こそは諸老も斷然勇退して愉快なる可し凡そ政治家の政府に在るは自家の意見に從て政を行はんが爲めのみ此一事にして意の如くならざる以上は何を目的として爲政の地位に戀々す可きや「散りぬとも香をだに褪せ梅の花」假令ひ四方八面に敵を受けて倒るゝとも我心に信じたる所を實行して長く天下後世の思出でとなるこそ男子の事なれ徒に殿樣の地位を維持するに汲々して香もなく臭もなく曖昧糢糊の間に老餘を埋没するが如きは元勳の爲めに最も惜む所なり