「條約改正と法律の運動」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「條約改正と法律の運動」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

多年來條約改正の談判に付き外國人より夫れ是れと異議を申立る箇條多き中にも要點は專ら法律問題にして其言ふ所を聞けば治外法權を止めにして内國人と共に同一の法の下に居らんとするも其法律の不完全なるを如何せんと云ひ、維新以來我法律の次第に改良するを見れば則ち云く法文の面は改良するも之を取扱ふ法官の不熟練にして且實際に裁判の獨立を得ざる限りは良法も用を爲さずなど樣樣に口實を設けて際限ある可らず實を申せば世界中何れの國にても絶對的に法律法官の美なるものは見る可らず唯彼れ此れと比較して多少の相違あるのみ此邊より見るときは外國人等が日本の法律に對して不安心なりとは實に根も葉もなく唯一片の感情より苦情を陳るものに過ぎず彼等が今日對等條約を結んで對等に交際する國國の中には其法律習慣の危險なること日本に下ること數等なるものある可し我輩の詳に知る所にして外國人の日本に對する苦情口實は都て取るに足らずと雖も我國は俗に云ふ疵持つ身にして開國以來斯る不利なる條約に束縛せられたるこそ不幸なれ今日に至り此束縛を脱して獨立國の體面を全ふせんとするには自から餘計の苦勞なきを得ず即ち其苦勞とは法律上實際の運動に付き勉めて公明正大を主とするのみならず司法全面の氣風を振肅して外見外聞の嫌疑を避るまでに注意し以て外人の口實を空ふするの工風にして其覺悟專一なりとは我輩宿昔の所望なりしに何ぞ科らん兩三年來偶然にも此宿望に反對の事相を見たるこそ遺憾の次第なれ其一二を云はんに彼の司法部内にて弄花事件とて一時の波瀾を生じ些些たる小兒の戲、論するにも足らざる事を何か騷騷しく騷ぎ立てて事は遂に落着したれども詰る處は司法の威信を損したるに過ぎず騷動の本は威信云云と論じながら威信を維持せんとして却て自から威信を失ふたりとは平地の波瀾以て司法の體面を害したるものと云ふ可し又その次ぎに有名なるは相馬事件にして謀殺の告訴を受理して時ならぬ大獄を起し其進歩の最中形勢一變して主客處を異にし今は誣告の大獄と爲り今後の始末如何なる可きや之を知らずと雖も誣告罪が成立するにも、せざるにも其出來上りたる處にて二大獄を終りたる成蹟は本の謀殺の告訴を受理せざるの塲合に等しきのみ容易ならぬ告訴を容易に受理して長長の裁判勞したりと云ふの外なし我輩は贔屓目に之を見ても法律運動の美なるものとは評し難し又維新以來法律の改良と共に人民相互の訴訟は常に公平なる裁判を得れども一歩を進めて人民が政府を相手取るときは殆んど常式の如くにして敗訴せざるはなし聞く所に據れば從前官民の訴訟に當るときは都て政府の指揮に從て判决を下したるよし近年に至りては流石に人文も進歩して敢て指揮とまでには至らざるよしなれども積年の習慣は一朝にして洗ふが如く除去するを得ず誰れが指揮するにも非ず又依頼するにも非ずして自然の風を成し官民の爭に勝利は素より官に歸する筈のものなりとして怪しむ者なきが如し例へば三井組が三池炭山の事件に付き大藏相を被告としたる訴訟の如き其理非曲直は曾て時事新報紙上にも論じたる通り(廿六年六月廿九日より三日間の時事新報)分り切つたることと思ひの外初審には例の如く原告の敗訴と爲りたるよし尚ほ此外に同樣の事例を求めたらば澤山ある可し誠に堪へ難き次第にして政府が人民に對して無理に勝てばとて何程の利益ある可きや之が爲めに政權の威光を増すに非ず官吏輩の體面を美にするに非ず唯徒に世人をして政府を厭はしめ又例の慣手段なる哉とて冷評を下すのみにして詰り法律の威信を損するに足る可し左れば是等は畢竟事の流弊にして必ずしも一個人の罪に非ざれば政府の當局者は其弊事の大勢に着眼し昔年曾て政府が陰に裁判を指圖したる其筆法を今日は正しく逆にして法官を説諭し官民の訴訟に付ては特に裁判の獨立を重んじ苟も政府の意を迎ふること勿れと丁寧反復これを奬勵して始めて正に反ることある可し事の矯正は正に過ぐるに非されば實効を得ず經世家の注意す可き所なり以上は我輩が宿昔の議論にして事珍らしきにもあらざれども近日仄に條約改正の風聞を聞き外人口實の手段たる法律の事を想起して匆匆執筆當局者の反省を促すのみ