「審査規則廢す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「審査規則廢す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

近來各府縣に於ける小學校教科書の採定に關して其審査會員と書肆との間に何か不潔の沙汰ありとて其風聞頗る喧しきが如し抑も教科書に關する云云の風聞は敢て珍らしき談にも非ず從前文部省が■(てへん+「檢」の右側)定規則を嚴重にして一切の〓を官吏の手に握りたる其當時に於ても種種の風聞少なからずして當局者も其弊害に心付たるか〓〓〓に仔細ありしか爾來■(てへん+「檢」の右側)定の手心を緩め苟も事實に〓なしと認むるものは都て許可するの方針に改めたる其〓りに各府縣に審査會なるものを設け府縣の官吏師範學校長教諭常置委員小學教員等を委員として其府縣下にて用ゆ可き教科書を審査採定せしむることとしたり盖し斯くして其審査を多人數の委員に任ずるときは從來の弊害を免る可しとの意に出でたることならんなれども舊弊は矢張り止まざるのみか却てますます其風聞を高からしめたるが如し元來書肆の輩が自家出板の書を披露して採定せられんことを勉むるは素より不當の事に非ず其目的とする所は唯營利の一方にして種種樣樣に賣付の方法を工風し時としては公言す可らざる程の手段を運らして恰も仲間同士に新手段の競爭を催ほし多少の競爭費は愛しむに足らずと云ふ其一方に於て採定の任に當る審査會なるものは如何と云ふに直接に責任もなき人人の集合體にして殊に其身分の如き至て薄給のものも少なからず此輩にして此任に當る其間に種種の魂膽あるは自然の勢に於て免かる可らざる所なり畢竟人の罪に非ず規則の然らしむる所にして斯る事の行はれ易きは教科書審査會の設けあるが爲めに外ならざれば今日の謀は斷然この規則を廢して弊源を除くに如かず本來文部省の學事〓渉は我輩の最も感服せざる所なりしに近年は例の儒教主義も其結果の案外にして當局者を困却せしめたるより延引ながら前非を後悔せしにや都て書籍の■(てへん+「檢」の右側)定は單に有害のものを禁ずるまでにして恰も賣藥の免許と同樣、無効有効の區別は一切問はざるの精神なりと云へば是れは其儘に差置くも差支なけれども府縣の審査會は斷然廢止して教科書の採定は各小學校の自由に一任すること至當の處置なる可し既に各校の自由に一任するときは書肆の輩が如何なる手段を運らさんとするも全國幾萬の小學校に對して一一これを試みるが如きは自家の損益上、割に合はざる談にして草臥儲けに過ぎざれば之を試みんとするものもなく不潔の風聞は自から跡を絶つに至る可し或は其採定を各校の適宜に任ずるときは如何なる不都合のものを用ゆるやも知る可らずとの掛念もあらんかなれども今の審査委員たる人物と小學校の教師とを比較して鑑定の能力に格別の相違ある可しとも思はれず况んや其採定は既に文部の■(てへん+「檢」の右側)閲を經て無害と認められたる其中に就て撰むことなれば甚だしき不都合はなき筈なり其他或は同じ府縣下にて用ゆる所の教科書一定せざるときは試驗の際、生徒の學力を比較するに不都合なり又生徒が他の學校に轉ずるに當り用書を買換ふるの不便ありなど反對の説もあるよしなれども生徒の學力を比較するは必ずしも同一の書籍に依らざる可らずとの理由はなかる可し其不都合は試驗の方法次第にて如何樣にも除くの工風はあることならん又生徒が轉校するに當り本を買換へざるを得ずとの説は東京府下の如く市民の住居を移すこと頻繁にして隨て其子弟の轉校も常なき塲所■(てへん+「丙」)に於ては或は多少の苦情もあらんなれども苟も地方の事情に通ずるものならんには斯る掛念はなき筈なり我輩は當局者が斷然審査規則を廢して教科書云云に關する風聞の源を絶んことを希望するものなり