「終に二大政黨に歸す可し」
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時事新報に掲載された「終に二大政黨に歸す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
終に二大政黨に歸す可し
我輩曾て今の所謂武斷硬派と文治軟派とは或は後來我政黨の依て以て分るゝ所の元素たるべしとの言を述べたり今復た爰に一歩を進めて更に其意味を明にせんに今日全世界中立憲の政體を立て之に由て政治を行ふもの一にして足らず苟も文明國と稱する國に在ては悉く皆此政體に依らざるものなしと雖ども其體裁の最も美にして眞に立憲の名實を備ふるものは英國に如くものなかるべし英に保守と自由との二大政黨を分ち互に其主義綱領を執りて一歩も退かず一毫も讓らず互に政權を爭ふて他の隙を窺ひ一勝一敗多數を占むれば政權を執て在朝黨となるべく一朝人望を失へば自から退て在野の反對黨となるべし政權を執ればとて誇るに足らず、失へばとて耻るに足らず眞に士君子の爭にして匹夫下郎の喧嘩にあらず又その主義とする所を尋るに保守必ずしも守舊頑固ならず自由亦粗暴輕卒に非ず齊しく進運の中に在て各其一局部を働くものなりと雖ども已に黨派を分つ以上は自から其赴く所を異にせざるを得ず即ち保守黨の主義とする所は民權の伸帳よりも寧ろ國權の擴張を主とし地方分權を思はずして中央集權を希ひ頻りに武備を盛にして對外強硬の手段を執り殖産興業通商の事に至ては政府自から進んで奨勵保護の任を盡くし敢て之を人民の自由に放任するを欲せず事々物々從來の習慣を重んじて漫に突飛の進歩を〓てず一歩一歩徐ろに立脚の地位を固て進歩する者是なり又一方の自由黨は先づ第一に民權の伸帳を主唱し餘り國權の擴張に重きを置かず地方分權を主として中央集權を厭ひ武備の一點にはさほど意を用ひずして外國に對しても常に靜謐を旨とし殖産通商の事は全く人民の自由に放任して敢て之に干渉することを好まず一心一向に革新改良を目的として進み其進歩の際に妨碍するものあれば如何なる古來の習慣をも排除して憚る所なく着々歩を進めて止まざる者即ち是なり尚ほ此外に今の英國には聯合黨と唱ふる一小黨派ありて自から三黨三分の姿なれども元來此聯合黨と云へるは具氏の愛蘭自治法案に反對して一時自由黨より分離し暫らく保守黨と相提〓する者なれば自治法案にして一朝落着の塲合に至れば再び舊の自由黨に復歸す可きが故に英國の政黨は本來保守自由の二派あるのみと云ふべし抑も此二政黨は一時の感情一身の愛憎に依て遽に生じたるにあらず幾百年の經驗を積み幾多の改革を經て初めて今日の盛況に達したるものにして自から人間の性情に由來する所あるを見る可し而して此性情は祖先の遺傳に由るか又は教育交友の結果より來るか自から學者の説もある可けれども其論説は暫く擱き兎に角に人生には或は守成慎重に傾くものあり或は進取活溌に傾くものありて生來巳に保守と自由との二流に分るゝの事實を見る可し例へば爰に一團の朋友を相會して其の言語擧動を窺ふに座中或者の言語擧動は鄭重にして自から老成の風ある其の反對に一方には言行活溌にして自から進取の氣象を示す者あり一は動もすれば圭角を現はさんとし一は萬事圓滑を旨とし此れは強硬を主とし彼れは軟柔を悦ぶ等其趣決して一樣なるを得ず男女老若貧富貴賤相對するときは必ず此邊の區別あるを見る可し或は心事開闊にして物に頓着せざる具眼有識の君子に在ては平常能く自心の釣合を制して敢て一方に偏せざる者もあるべしと雖も其然る所以は平生の教育錬磨の効に由て偏する所餘り過度ならざるが爲め外形一見公平なるに似たるのみ一歩を進めて細密に其人の言論擧動を吟味するときは尚ほ其偏頗ある所を窺ふに足るべし人間本來の性に於て免かる可らざる所なればなり左れば英國二政黨の由て以て分るゝ所は此二樣の性情に由來するものにして英政の美なる所以も亦盖し此中に存することならん我國の政黨は創始以來日尚淺く隨て其黨派も四分五裂の有樣にして甚だしきは朝に起て夕に倒るゝものあり一起一倒盛衰常ならず就中今の政海に在て稍や重きをなすものには自由改進國民の三派ありと雖ども是れとても或は一事一人の感情に依り或は一時一所の便利より成立つものにして其感情去り便利盡くれば今日までの政友も忽ち氷炭相容れざるの政敵となり一離一合恰も狼狽の渦中にあるものゝ如し粉々擾々何れを其れと識別すること易からずと雖も心を靜にして大勢の流行を窺ふときは政海の底深き所、幽かに二大政黨の種子を胚胎するの事實を發見すべし即ち今の所謂硬軟文治武斷の兩派こそ其種子にして今日正に發生の期を備はすものゝ如し固より硬派と云ひ武斷派と云ふも徹頭徹尾武力にのみ依頼して政權を維持せんと欲するにあらず假令ひ内心竊に其意あればとて今世の文明に許さゞる所なれども兎に角に從來の成行に就て之を考ふれば此流派は常に強硬の手段を執り民權論を後にして國權の擴張を先にし地方の自治を願はざるにはあらざれども先つ中央集權以て大政府の位置を強めんと欲するものにして未だ一政黨の影をなすに至らずと雖も其向ふ所の勢を察して精神の所在を窺へば稍や英の保守黨に類するものなり又一方に軟派文治派と云ふも決して文弱柔軟女子に齊しきものにあらず時としては強硬の手段に出でざることなしと雖ども全體より之を察すれば常に民意民權を重んじて萬事圓滑を主とし中央集權に重きを置かずして地方自治を主唱して武備を重んぜざるにはあらざれども稍これに冷淡なるものにして體裁こそ異なれ其實は英の自由派に類する所あるが如し即ち現内閣の如き是れなり假令ひ今日の實際に於ては未だ判然流派の區別も立たず其主義とする所も亦未だ定まざる硬派にして却て急進を學び文治派にして却て守成を氣取る等の奇觀なきにあらざれども大勢の赴く所に由て之を考へ人の性情に照らして成行を想像すれば後來我政黨も亦必ず此二派に分れて漸く立憲政の美觀を呈することなる可し我輩は今日より竊に期して其時機の到來を待つ者なり