「奢侈の風・関根千津子」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「奢侈の風・関根千津子」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

奢侈の風・関根千津子

人々生活のますます高度に進むは文明開化の賜ものにして我輩も亦其いよいよ高からんを望むに切なれども輓近我社會の奢靡放埒は表面恰も生活の進歩に類似して内實は全く正反對の趣を呈し唯惡徳の增長に過ぎざるが如し蓋し所謂生活の高度とは家族の幸福圓滿なるを第一とす可きに彼の奢靡放埒家の常として家族の不幸不滿ならざる者幾んど希なり論より證據爭ふ可らざるの事實なれば是ぞ正しく生活の範圍を脱して寧ろ身分不相應の狂奢を演ずるものとこそ云ふ可けれ抑も此種の奢侈は百惡の源なり果せる哉滔々俗をなして遊里に痴戯するは申すに及ばず不義理も愧るに足らず賭博も缺く可らずとて道徳を傷くること追々に容易ならず窃に趨勢の成行を察すれば詐欺取材も亦常事の看をなるに至らんこと其日遠きに非ざる可き歟寒心に堪へざる次第にして徳教も是を濟ふ能はず長上も之を制する能はざるのみか學校家門も却て爲めに化せられ長老先進は寧ろ少壮を〓はすの有樣にして都鄙朝野到る處に汎發して止む所を知らざるの實況は讀者日々の見聞に撤して思ひ半に過ぐるものある可し畢竟するに維新兵馬の騒亂と共に我社會の徳風を破却せし以來これを改造するの念なくして上流の輩が弊事を行ふに憚らざるより年々その以下に感染するに隨ひ惡例の稽古は一を聞いて早くも十を知り遂に今日の風をなしたることなれば元老諸氏の如きは維新の勲勞と共に亦この罪過を負擔し流俗の淺ましきに鑑みて自から之に對する所以を思はざる可らず是れ實に方今の大任なる可し當局者の政界に唱道する所を聞けば維新の大業は未だ其半途にあり引續き憲法の運行を完美ならしむるは猶ほ後半に屬するものにして誠意誠心努むる所唯是れのみ云々と願ふに元老諸氏は少壮の頃より専ら献身的の教育に薫陶せられたる者なれば我輩は其心また必らず其言の如くならんを信ずると共に維新の大願首尾よく成就せんこと最も祈る所なれども諸氏の精神獨り政治の改進にのみ〓にして殆んど社會の風紀を度外視するが如きに至ては聊か不平なき能はず人心の消長と政治の隆替とは共に國家の盛衰に調するの要件にして素より輕重す可らざるのみか政治の改進に從事すればとて社會の風紀を矯正すること能はずと云ふにあらず唯その獨りを慎めば足ることにして耳順に近き老齢の身に取り何の難きことかあらん况んや其初め風紀を紊したるは乃公自身の過なりとすれば天下倶瞻の地にある今日務めても猶ほ務めざる可らず或は盛年の頃より已に奢靡放肆を極めたる上のことなれば今更老頽と共に謹慎するも以て後進を戒むるに足らず無益の沙汰なりと云ふもあれども後進奢肆を倣ふの輩に在ては素より其志操も薄弱にして長老の鼻息を窺ふ者こそ多ければ貴顯の身を以て嚴に勤儉端正を守り苟も惡風に感じたる者をば斷じて信用を置かざることゝせば少なくとも表面上には之を改め漸次矯正の歩を進むるを得可し且つ盗賊を教導するに僧侶の説法を以てせんよりは寧ろ改心懺悔したる大賊の言を假るに如かざるは世間往々見る所の類例にして元老老ひたりと雖も亦以て下風を動かすに足らん今や天下の良民は此等の偽文明的半紳士の爲めに其安全を攪擾せられたるより次第に厭忌の情を催ほし相共に謀る可らざるものと見做すの色を呈して矯風の一大援軍たり呼應して以て弊風を揺蕩する今時を措いて復た何の日を期せんや

又右紳士流の外に紳商の一流あり四民平等の今日にてありながら封建の習慣未だ人心を離れずして紳士と云へば恰も昔の武士と云へる心地して其行状に就ても自から武士を標準として見ることなれども紳商と云へば昔の商賣を標準と定め隨て紳士にあるまじき事柄にても紳商には却て之を恕するの風なきにあらず爲めに紳商なるものゝ奢侈放埒なる見聞に忍びざること往々なれども世間の之に對して寛大なるは實に不審と云はざるを得ず紳士と云ひ紳商と云ひ將た何の別あらんや否今の紳商特に後進の紳商即ち會社員等の輩に於ては率ね文明の教育を受けたる士流の人物にして從來の素町人を壓倒す可き種族なるにも似ず私行私徳の一點に至ては宛然たる山師的にあらざれば即ち放蕩書生の有樣にして往く往く信用を墜さゞらんと欲するも得可らず獨り社會の風紀を害するのみならず當人の不爲め且つは文明商人の聲價に關する次第なれば是亦彼の紳士を制すると均しく先進の紳商率先自から身を正ふし以下の輩をして風を望んで警戒せしむる樣注意あらんこと希望に堪へず之を要するに今日の風紀を矯正するは士商を問はず先進の躬行を以て實示誘掖するの外なきことと知る可し