「東京に於ける商品取引所」
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時事新報に掲載された「東京に於ける商品取引所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京に於ける商品取引所
取引所法は昨年十月一日より實施せられて〓に其筋の許可を得て設立したるもの少なからず本來法の〓〓に從へば許可の權は政府に在るが故に自由に許すと然らざるとは一に當局者の手心に存して其手心の如何に由ろては實際の結果に大なる相〓あることなれども現に各地より續々の請願は容易に許されて續々設立の運びに至るを見れば當局者の手心は甚だ自由にして毫も干渉の意味を含まざる方針なるが如し元來政府が商賣の事に干渉して漫に手心を用いるが如きは愚の至りにして實際無益の勞に過ぎず〓に法律の規定ある上は其規定に背かざる限り人民の自由に任ずること至當の處置にして我輩に於ても此方針には同意なれども獨り帝國の首府たる東京府下に於てのみ未だ設立の運びに至ること能わざるは事の當を得たるものと云う可からず各地方は申す迄もなく現に横濱の如きも〓に許可を得て昨今開業の用意中なるに然るに商賣取引の繁昌全國の首位を占めて最も取引所の必要を感ずる東京に於て其運びに至らずと云う甚だ不審なれども東京の商人〓して其事に冷淡なるに非ず昨年中〓に〓願の企はありたることなれども其〓願者に二樣の黨派を生じ一は砂糖、木綿、綿絲、綿花、油、〓、肥料、金属、雑穀の九品を取引商品となし右各品問屋の一類が團結したるものにて之を實業派と稱し他の一方は綿花、油、〓の三品にして其發〓者中には〓素是等の商賣に關係なき人も多きよりして紳士派の名あり扨双方より願書を差出したるに双方とも綿花、油、〓の三品あるが故に恰も衝突の姿を成し孰れとも〓し難しとて當局者に於て双方の願書を却下したる其理由は同種の物件を賣買する取引所は一地區内、一個所に限るとの法の明文に據りたるものゝよしなるが本來〓願の許否は當局者の權内に存することなれば双方の中いづれか適當と認むるものに許可を與え一日も早く設立を得せしむるこそ至當の處置なれども盖し當局者の考に於ては政府の眼識を以て其撰擇を爲すときは或は世間の非難を招く掛念もあらんかとて表面に願書を却下しながら裡面には双方の調和合同を試みて事の圓滑を望みたることならん例の政府の手段として怪しむに足らざるども之が爲めに双方ともに計畫を中止して今日までも着手の塲合に至らず恰も法の明文の爲めに其法の實施を妨げられたる觀を呈したるこそ奇態なれ我輩の如きも其當時に於ては只管取引所の設立を急にする一點よりして孰れなりとも最も適當したるものを選んで斷じて許可すれきを勸告したれども熟々思うに所謂實業派なり紳士派なり孰れも商賣に熱心なる者にして或は紳士派の如き其中には實際商賣に關係なきものも多しとは云えども只直接に取引に從事せずと云うまでにして實際商賣上に利害を感ずる一點は實業派の人々に比して異なる所なかる可し即ち〓方共に商人たる資格に於て甲乙なきは無論、東京府下の如き商賣取引の盛なる塲所に一個所の取引所のみにては迚も其用を全うするに足らざるのみか寧ろ之が爲めに商賣〓會の運動を澁滞せしむるに過ぎざれば當局者に於ても大に從來の所見を改め實業派と云わず紳士派と云わず其出願に任せて許可するは勿論、尚ほ今後出願するものあらば二個所にても三個所にても自由に設立せしむること適当なる可し扨東京府下に幾箇所の設立を許すに就ては同種の物件を賣買取引する取引所は一地區内、一個所に限り設立することを得云々とある法文を如何す可きやと云うに本來其地區なるものは商賣の繁閑、人工の多少を標準として定む可きものにて東京の如き〓して一地區と見做す可からざる其理由は例えば國會議員の撰擧法に據れば横濱の如き一區なれども東京は現に九區に分てり即ち東京の人口は横濱に九倍する割合にして商賣の繁昌も其割合に比例するものと見て差支なかる可し然るに取引所の設立に就ては人工商賣共に九倍せる東京を横濱と同一に見て等しく一地區なるが故に取引所も亦一個所に限る可しとは事實に於て許さざることなる可し更に一歩を進めて云えば岐阜と大垣との如き又濱松と豊橋との如きおのおの接近の塲所にして然かも其人工商賣の如き兩地相合するも迚も東京市内の一區に及ばざることなれども尚ほ且一地區と認めておのおの取引所の設立を許したるに非ずや左れば東京の如き一地區と見做す可からざるは無論にして假令ひ撰擧區の如くならざるも之を數區に分て其一區を所謂一地區と見做し取引所の設置を許可すること適當なる可し