「先々の先」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「先々の先」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

先々の先

〓法の〓〓先々の先と云うことあり其意は敵手が吾に先んじて打込まんとする其氣合を早くも察して更に之い先んじ以て勝を制することなり人事の競爭おいおいに盛にしておのおの先々の先を取らんとするもの特り〓客のみならざる中にも近來我國に於ける彼の排外論者の有樣を見るに恰も此傳を應用して一上一下その論ずる所いよいよ出でゝいよいよ奇なるものあるが如し抑も東西交通の便未だ開けざりし以前に在ては唯耳に東洋以外更に西洋あるを聞くのみにして曾て實地に目撃したる者なければ苟も事の西洋に關するものは皆爭いて之を珍とし例えば〓たる一個の漂流人にてすら其物語の面白さに堂々たる學者〓紳の間に禮待厚遇せられたる程にして人氣の傾く所推して知る可し爾後時勢も次第に推移して海外の交通に便利を得たるより漸く洋行を企つる者あるに至りたりしが其洋行の他に珍重せらるゝや亦非常にして是れは歐米を巡〓して此程歸〓したる人なりと云へば唯素通り素見物の一書生にても世に持囃さるゝこと一方ならず又實際に於ても其洋行生は文明の學術技藝を傳へ間接直接に我國運を〓益して爰に〓々たる進歩を來たし正に是れ洋行者全盛の時代を見るに至りしことなれば有志の輩は如何にもして之に傚わんと欲し先を爭いて洋行々々と唱え甲乙丙丁相携へて年々歳々ますます其數を〓すに從ひ西洋の奇も亦昔日の如く奇ならずして洋行必ずしも誇るに足らざる其趣を譬えれば徳川時代交通の不便なりし頃我版圖内にもて蝦夷長崎の物語は京地の人に珍奇にして廻国者をして得意を專らにせしめたりしも封建の關門を撤し汽車汽船の便を得てより以來百里の隔地も比隣に等しく今は毫も珍奇をなさざるものゝ如し然るに人〓〓に之を珍重する年なければ〓て之を厭う〓を〓すことある〓にして比年來一も西洋二も西洋とて彼の文物制度を輸入することの繁多なるよりして漸く之を煩わしきことゝ思いて心中竊に不滿なると共に洋行者の〓振も自然に之が爲めに衰えんとする有樣なりしかば豫て競爭に油斷なき人世の事とて早くも此氣合を察し〓記の所謂先々の先を取らんとして同じく洋行者にてありながら他に先んじて先づ西洋の攻撃を試み種々樣々の〓を作す者なきにあらず云く開進改革多くは國家の不利なり英國の今日あるも實は人民が保守の氣象に富めばなり否な日本固有の美は遥に西洋に優るものありながら〓げて彼に傚う〓とは以ての外なり彼國學士の所〓も國粹保存を大切として外國に對しては斯く斯くなり云々とて甚だしきは外人の品行を〓て近づく可からざる種族なりと放言し事々物々排外を旨として愛國心とは排外心に外ならずとまで論究して以て世間に所謂頑固者流躍〓連の意を迎えんとする者あるは正に今日の實〓なり窃に天下の事相を案ずるに一消一長すべて是れ反動を演ずるに非ざるはなし開進改革の反動として保守依舊の徒を生ずるも敢て怪しむに足らざれども其これを唱える曾て西洋を知らざる者ならば我輩も之を俗に云う喰わず嫌いとして世人と共に冷〓する迄のことなれども如何せん身は〓に海外を遊歴して具さに甘酸を〓めたる人々が却て開進の〓路に横わりて西洋と其進歩を共にする非を論ずるに至ては滔々たる多衆復た其〓の眞〓を究むる能わず雷同附和するは勢の免れざる所にして爲めに國事を〓る極端に走ることなしとせず現に客〓衆議院に現われたる外交論の如きも一は根據を此邊に托するものにして無謀の論鋒も亦政府攻撃の具として有力なりとは以て弊風の及ぶ所を推知す可し論者が目〓の功名を僥倖せんとて國家の大事を犠牲に供するを辭せざるが如きは如何に競爭の世の中にもせよ甚だ取らざる所にして曲學阿世と云われても一言の辯解なかる可し我輩の惜む所なり