「代言的政治」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「代言的政治」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

代言的政治

或人の言に立憲政治は法律の政治にして一擧一動、悉く法律の範圍内に於てし苟も之に違うものは違憲の擧動として〓斥し苟も之に觸れざる限りは如何なる事にても正當の行爲として許す可し所謂法治國の眞面目は此邊に存するものなりと云へり一偏の理論として聞けば一應然るが如しと雖も〓會の人心は條理よりも寧ろ感〓の爲めに動くものにして政治の運動の如き特に然らざるを得ず然るに其運動を一切法律にて支配せんとす實際に困難なるは當然の次第なりと云う可し今の政治上の有樣を見れば本來感〓より〓りたる議論を無理に法律に適合せしめて合法のものとなさんとするより次第に其論調を低くして苟も法律に背かざる限りは論及到らざる所なき其反對に之に對するものも亦法律一偏を楯として苟も免れんとする其趣は恰も彼の代言人が蝶々法を論じて法廷に爭う〓に異ならず若しも此有樣を以て立憲政の眞を得たるものとすれば立憲政は即ち代言的政治なりと云うも不可なきが如し我輩の只驚く所なり例へば今の民論の如き元來政府反對の威〓より發したるものなれども之を装うに法律論を以てするが故に論の調子いかにも低くして一般の同〓を得るに至らず即ち彼違憲云々の如き毎度同一の小理窟を操返すのみにして事實の上に於ては毫も得る所なきは申す迄もなく若しも斯る筆法を以て反對論を論ずるときは民論の骨髄とも云う可き責任内閣論の如き如何す可きや我憲法の明文には當局者が議會に責任を負いて進退する個條を見ず即ち代言的に論ずれば今の論者の唱える責任内閣論の如き取りも直さず不法の議論にしていよいよ之を論究するときは夫子自身に先づ窮せざるを得ず只管法論を蝶々して恰も他の揚足を取ることを勉むるが如き一般の同〓を得るに難きのみならず單に議論の點より見るも遂に民論の利に非ざる可し然りと雖も今の民論の目的は只政府に反對して之を苦しめんとするものに外ならず實際に取て代わる成算あるにも非ざれば代言流の攻撃を事として自から慰むるも自然の成行にして致方なけれども現に大政の局に當る政府の老輩が其民論に對する趣を見れば矢張り代言流を免れずして恰も原被兩造の代言人が法廷に對論する有樣なるこそ奇觀なれ政府委員が國會の議塲に於て議員の質問に答える答辯の如き多くは一時の責塞ぎにして眞實責任を負い政府を代表するものの言として聞く可からざるもの少なからず或は議塲の答辯は對手が對手なる故に之に對する答辯も亦自から斯くの如くならざるを得ずとの事〓もあらんには夫れ迄の事として深く論ぜざるも先頃政府の當局者が貴族院議員の質問に答へたる復書の如き議會解散の理由を〓明して恰も政府の宣言書として見る可きものなるに其所〓は他の揚足を取る筆法にして文字の如きも頗る〓當を欠き苟も責任ある當局者が政府全體を代表して發したる文書とは受取り難きものあるが如し〓生は國家經綸を云々する政府老輩の擧動にして斯くの如しとあれば其政略の如きも思い遣らるゝ次第にして我輩の只驚く所なり思うに今の當局の老輩は年來世故の經驗もあり通俗の〓にも乏しからずして法律一偏の人物に非ず代言流の擧動の如き〓して喜ばざるのみか實際不得手の方なけども政府の部内には種々の小輩少なからず孰れも老輩の身邊に附着して何か手柄を立てて自家の立身を謀らんとする折柄、國會開設の一時こそ其輩には此上もなき好機會なれ西洋立憲國の慣例は云々なり斯る塲合には云々す可きものなり否な云々せざる可からずとて自家の小智相應に小策を運らして今日の如き奇態を呈したるものならん必ずしも老輩の意に出でたるには非ざる可しと雖も世間より見るときは政府も民論も五十歩百歩の差にして孰れも厭う可し之に近づくものは群少の輩のみにして獨立高尚の士人はますます遠かる外なきのみ立憲政治は法律政治なりとは雖も政海は廣くして事端は多し微妙の機に投じて人心を制するは代言流の小理窟のみにて辨ず可きに非ず西洋諸國の如き年來立憲の〓慣にして法律の如き極めて細密なれども其政治家の擧動は案外大膽にして必ずしも法論のみに拘泥っするものに非ず當局者にして若しも悟る所あらば少しく眼界を廣くして少しく大膽ならんこと希望に堪へざるなり