「養蠶の前途危むに足らず」
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時事新報に掲載された「養蠶の前途危むに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
養蠶製絲業の逐年漸く振起し來りたるは我輩宿昔の持論と着着相一致するものにして將來も亦ますます發達せんことこそ願はしけれども斯く隆盛を催ほすと共に事情不案内の人人に於ては却て其前途の成行を氣遣ひ或は今後大に衰微することもあらば後悔先に立ち難しとて依然舊來の農作を墨守し麥田を變じて桑圃となすが如きは先づ以て差控ふる者比比として然り誠に堪へ難き次第なれば此等の人人の爲めに我輩の所見を陳べ其决斷に資するも亦無益に非ざる可し今世界に於ける生絲の需要は暫く措き北亞米利加一國に就て之を見るも凡六千萬の人口中絹布を身に纏ふ者幾人あるや日本に於てこそ極めて下等に非ざるよりは大抵多少の絹を用ゐ中等上等に至ては春夏秋冬、絹衣を常にして又その外に幾種となく着替を用意し夜具に至るまでも絹に非ざれば暖かならずなど云ふ其有樣は洵に絹衣の民として視る可き程なれども彼國民に在ては從來毛織物を專用したることなれば絹の如きは中中容易に得ること能はずして一枚のハンカチーフも之を所持する者甚だ稀なり然るに其毛布と絹布とを衣服に用ゐて比較すれば外見は申すに及ばず體に適ふて快きこと同日の談にあらず一たび絹を纏ひたる者にして復た他に移る能はざるは東洋も西洋も人氣に異なる所なくして絹に對する需要は唯増すの一方あるのみ此需要を充して假令ひ日本人民の如くならざるも絹布を普及せしむるを得たらば今日の生絲産出高の如きは實に九牛の一毛に過ぎず况んや米國の盛大殷富なる人口は次第に増加して生活は次第に程度を高め贅澤を贅澤とせざるの有樣なれば衣類等の購買力も遙に日本人民に超過して廣大無量と云ふも亦敢て不可なきが如し左れば米國を得意とするのみにても日本の蠶業は前途毫も膨張するを憂ふるに足らざれども或は蠶業は我國專有の物産に非ざるが故に他の競爭を如何せんとて遲疑する者なきにあらず成程米國にても近來頻りに養蠶を奬勵する由なれども蠶の物たる有生の活物なれば之を飼養するには器械の力に倚ること能はずして是非とも人力を用ゐるの外ある可らず既に人力とあれば彼の高き賃銀を拂はざる可らざるが故に如何にしても我が廉き賃銀に拮抗して市塲に勝敗を爭ふなどとは斷じて企て及ばざることならん又伊太利國の如きは多年の熟練もありて侮り難き敵なれども葡萄を栽培して釀酒するも自から利益なりとて時としては桑田を變じて葡萄園と爲す者さへある程の情况なりと云へば是亦深く懸念するに足らず算へ來れば獨り隣國支那こそは實に恐る可き蠶敵なれども内に億餘の人口ありて日本と同樣既に絹衣の民なるが故に其供給に忙くして外國貿易上我國の累をなさんは果して何れの日にある可きや好し幾分の累をなせばとて我國の蠶業家が今より一直線に進行して改良に改良を加へ便宜に便宜を開きたらば蠶業世界まづ我有にして毫も驚くに足らざる可し或は直段の一點に至ては供給の増加と共に今日の如き特別無類の利を收むる能はざることならんと雖も當業家の説によれば今より大に低落して半■(にすい+「咸」)程の甚だしきに至ても猶ほ麥作の收益に優ること遠しといふ果して然らば蠶業の前途たる綽綽餘地を存するものにして其需要と云ひ其競爭と云ひ其値段と云ひ斯くまで有望確實なるにも拘はらず逡巡躊躇して飽まで舊來の農作に因循するが如きは我輩の甚だ取らざる所にして又國家經濟の主意にあらず斷然米麥を止めて桑を栽え日本をして世界の一大蠶業國たらしめんこと切に祈望するものなり