「株式の賣買」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「株式の賣買」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

實業諸會社の株式を株式市塲の賣買に掛くると然らざるとは會社の爲めに謀りて利害甚だ分明なるものあり會社の信用厚くして事業の前途望あるものは株式の價自から騰貴して買はんとするものも賣らんとするものも多く之に反するものは其價下落して顧みるものなし其賣買は自然に行はれて必ずしも株式市塲の取引を待たず會社は獨り自から其事業を顧みて惰らされば則ち可なるが如くなれども一般の見る所は大に然らず世間には裕餘ある資本家にして見込ある會社の株券を買ひ入れ新に株主たらんとするもの多多なれども茲に困却なるは會社の實相世に明ならざるの一事なり某會社の前途は云云某會社の内情は云云の沙汰は自から世間の評判に上りて一般に聞ゆることなれども扨株主たらんとするものが實際に資本を投じて其株を買ふには單に世間の評判のみを當にして决行す可きに非ず左ればとて縁もなき社外のものが一一會社の内情を探知するは容易ならざるのみか或は如何なる會社が實際有望なるやを分別するさへも難きが故に其邊に不案内なる資本家は先づ以て斷念せざるを得ず然るに會社が其株式を市塲の賣買に付するときは株の價は其事業の形况に隨て上下するは勿論、社内の仕組、監督者の適不適、前途の見込如何に至るまで一一市塲の相塲に影響して其鋭敏なること影の形に隨ふに異ならず左れば若しも其株式を公の賣買に掛けざるに於ては實際有望の會社にても世間の人は實相如何を知ること能はざるが故に獨り自から安んずるの傾なきを免れざれども一たび市塲に現はるるときは其實相忽ち社會の鏡面に映出せられて一點の眞を誤らず會社の人人も自から之に勵まされてますます事業の發達に注意するは勿論、世間にても安心して其株を買ふものこそ多ければ事業の確實と發達とに隨ひますます良株主を得る譯にして會社の基礎はますます鞏固を致す可し例へば紡績會社の如き近來の好景氣は自から原因あれども其景氣を外に發表し一般に信用を置くに至らしめたるは即ち株式相塲の爲めにして世間の人は先づ其株券の騰貴に目を注ぎて賣らんとするものもあれば買はんとするものもあり其賣買の結果は確實なる株主の多數を増してますます會社の基礎を鞏固ならしめますます一般の信用を博するに至りしのみ左れば株式を市塲の賣買に付すると付せざるとは會社の利害に大關係あることなれば苟も前途有望、ますます事業の發達を期する會社にして其株式の今日尚ほ未だ市塲に現はれざるものは速に公の賣買に附す可きは勿論、株式取引所の人人も自家の商賣繁昌の爲め此種の會社に向て其决行を促すこと肝要なる可し尚ほ序ながら一言せんに近年來我國の鑛山事業は次第に發達して會社の仕組を以て事業に從事するもの少なからざれども其會社の株式にして市塲の賣買に付したるものを見ず怠慢の至りと云ふ可し日本の鑛業發達したりと云ふと雖も世間に其事實を詳にするものは果して幾何ありや一般の人人は現在設立しつつある會社の數をも知らざる程の次第にして况して之に資本を投ずるが如きものはある可らず斯る有樣にして斯業の繁昌を望むは難しと云ふ可し或る地方の鑛山は慥に有望の事業にして既に着手中なれども何分にも資本の足らざるが爲めに計畫の目的を達する能はず遺憾ながら廢業の外なしなどの談は我輩の毎度耳にする所なれども其資本に乏しと云ふは世に資本家なきに非ず畢竟その會社の景况世に明ならざるが爲めに之に金を投ずるの人なきのみ今日の鑛業は技師の熟練、學理の應用純然たる文明的の事業にして所謂山師の仕事に非ず苟も實際の事實を明了ならしめて世間に知らしむるときは資本の如き决して乏しきを患ふることなし左れば其會社たるものが他の會社の株式と同樣、自家の株式を市塲の賣買に付することとせば一般に其事情も明白にして大に之を買はんとするものもある可し其賣買盛に行はれて好景氣を呈するに至れば或は從來資本の缺乏に苦しみたる會社も事業の確實を世間に認められ案外の邊より新株主を得て最初の目的を實にすることあるやも知る可らず兎に角に鑛業の有樣として今日までの如くならしむるは發達を謀るの道に非ざれば其會社たるものは株式を市塲の賣買に付して一般の世人をして事の眞相を知り鑛山事業に信用を置くに至らしめんこと敢て當業者に望む所なり